介護を受けている老人を見て、あれは楽をしていると考える人は少数派だろう。だとすれば介護を受けるような人生はむしろ悲惨だと見なければならない。
私の知り合いの中には、85歳で亡くなりながら、死ぬ瞬間まで頭脳面も含め元気で、現役だった人がいる。このように、何歳まで生きるかよりも死ぬまで元気かどうかが人生では大切だと言うべきだ。
この際介護を要する人たちの経歴について、統計などでその特徴を探ると良い。直感的には介護を受けなければならない人たちは、サラリーマンとしての生活をしてきた人たちが多いのではないか。なぜならサラリーマンは言いたいことも言えないまま、我慢の生活を強いられてきた人が多いと想像できるからだ。その憤懣又はストレスが、本来ならば”安楽”であるはずの老後に発散される。それが各種の障害や痴呆となって一気に表面化するのだろう。
さらには、その人たちの老後が”おまえたちはもう何もしなくて良いのだよ”という、国家的に言えば”安楽”と定義されることが、却って苦しみとなっている事実を知らなければならない。そういう意味では正しく、”楽は苦なり”の状況を呈していると言える。
明治以降の富国強兵策の延長線として、戦後軍隊式とも言える年功序列及び終身雇用を続けてきた日本だが、そういう年齢による一律化又は画一化的手法が、”お役御免”のお年寄りを大量に生み出した面があることは否定できないだろう。
それまで我慢に我慢を重ねてきたサラリーマン的な人々としては、老後に「今度は私たちが人に甘える番だ」と言わんばかりに、痴呆などの各種の症状を見せるのである。そういう人たちはむしろ逆に世の中から必要とされているということで、最後までお役に立ってもらうという制度が必要だろう。
楽に慣れていない人たちにいきなり楽を押し付けても、消化不良を起こすだけだ。
