2011年10月27日木曜日

創業と日本経済

中国を含め、諸外国では例えば男が二人集まれば、「商売でもするか」という話になる。そして友達の友達はみんな友達だ、ということで、各種の専門家がすぐに集まる。商売を志望し、お勤めを辞めたくてうずうずしている人が多いから、出資金も集めやすい。

それに比べれば日本は実に官僚的だ。日本では創業といえば、まず政策金融公庫などの金融機関から資金を借り入れることから始まる。逆に言えば仲間同士が出資しあって、自己資金で経営を始めるというスタイルにはならない。

ただしその際でも、日本経済が決して極端に創業に適していないわけではなく、やれば出来るにも関わらず、出資金を拠出する者は少ないのが現状だ。これは例えば徳川幕藩体制など、若者が創業することに対し抑圧する制度が長年続いたこととによる国民性と無関係ではないだろう。

いまネット上では「異業種交流会」などの開催が告知されている。ただしこれでは名刺交換は出来たとしても、創業に向けての印象が弱い。そこで今後は例えば「創業志望者の会」などの名称で、お互い出資金を募ることを目的に開催することが必要だろう。

お年寄りが「オレオレ詐欺」などで多額の現金を持ち去られるくらいなら、そういう余剰資金はリスクを取って創業希望者に対し直接投資されるのが、新たな職場作りの観点からみても、いまの日本経済にとって必要不可欠だといえる。

2011年9月29日木曜日

国際観光と求職者支援制度

 

http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/kyushokusha_shien/index.html

今回厚生労働相が、「求職者支援制度」と称して、各種の職業訓練に対し、訓練校への給付金制度を始める。現状ではここでの職業訓練はIT関連と介護職関連が柱となっている。

それらに加え、国際観光の振興を目指し、ガイドの養成を急ぐと良い。諸外国からの観光客数は今後著しい伸びが期待できるところ、日本の歴史とか食文化について詳しくせつ明できる人材は必ずしも十分だとは言えない。そのためのガイドを養成し、観光客が「なるほど」とうなづくような深い理解を得させることにより、再来者(リピーター)は確実に増える公算がある。ところが旧来は実質的にそれらの役割はボランティアに頼っていた現状があった。

今後は地元の観光資源についてヨモヤマ話などを提供するなどにより、かえって地元への愛着とか、地元の良さを見直すきっかけともなる。そういう専業的なガイドは各自治体の職員として雇うのが望ましい。

ガイドは日本語で良い。なぜなら今後様々な国や地域から来日すると見込まれるところ、例えば英語のような、ある特定の言語をガイドとして押し付けるような真似は、慎むべきだからである。ただしガイドが個々的に来客の言語について対応する分には問題ない。

日本の公務員は公益法人を作って予算を取るのが上手い。そういう特性を生かし、例えば主な観光地にはインフォメーションのブース(詰所)を設置してガイドを待機させたり、或いはパンフレットを置くなど、日本全国で統一的規格で

施設運営を心がければ、観光立国としての収入も十全となる。このようなことはフランスでは通常に行われていて、観光客への地域案内の窓口として活用されている。

2011年9月11日日曜日

"求職情報サイト"構築案

いまハローワークなど求人情報を見ることの出来る制度が運用されている。そこでは仕事を求める人達が集まり、人を募集している企業への面接に向け、該当する求人を探している。

しかしこのやり方だと、最終的に雇う人は一名だとしても、多くの労働者を面接のために集める結果、多くの労働者が面接で落とされるなど、無駄な面接を繰り返すことになる。そして面接のために割いた時間や面接場所までの交通費など、面接の数が多くなると決してバカにならない膨大なものとなる。それはすべて労働者の負担となる。

こういう悪弊を無くすためには、仕事を求める労働者が、ハローワークや又は自宅からウェブサイトに登録し、そして企業から面接希望があるのを待つという仕組みも必要だ。つまり企業の側が必要とする人材を、ウエブ上の労働者一覧表などから選ぶわけだ。

そうすることにより、少なくとも労働者からの一方通行だけに比べれば、雇用のミス・マッチを少なくさせることが期待できる。労働者にとっては、面接を受ける段階で、かなりの確率で雇われるという確信をもつことができる、言い換えれば企業からある程度気に入られているから、「この面接は無駄になりはしないか」との恐れに過敏にならなくても済む。うまく運用すれば、「面接は最終チェックに過ぎない」というように、面接を儀式化させることさえ、可能だ。

この際労働関係諸法を改正して、雇用契約は漸次廃止し、すべての労働を委任又は請負契約に集約することが望ましい。そうすることで、各労働者は一種の事業者となるから、ウエブ・サイト上で自らの職能をア・ピールさせることが法制度上可能となる。

2011年9月9日金曜日

自然災害と船の代わりとなる自動車の開発

最近大津波や集中豪雨など、日本の各地で水に関する災害が多発している。その際最も大切な事は言うまでもなく人命を救うことだ。

本来なら、津波や洪水の危険性がある地域については、住民各自が救命胴衣を準備したり、或いは各家庭でゴムボートを備えるなどして、大水でも浮いていられるようにするのが理想だろう。そのような備えがあれば、何割かの人は命を落とさずに済む。

このことに加え、絶対に沈まない自動車の開発が急がれる。その際白鳥型の"スワン・ボート"のように、ペダルを漕ぐことによって、人力で移動できることが望ましい。年老いた者など、急な津波や洪水に対し逃げるのが間に合わない住民も多い。そんな中、いざというとき船の代わりを務めるような、沈まない自動車があれば、たとえ逃げ足の遅いお年寄りでも、しばらくは自動車の中で水に浮いていられるから、その時間稼ぎと発見のされやすさの点からみて、生存率は格段に上がることが期待できる。

2011年8月17日水曜日

年金保険法と憲法違反(再掲)

日本国憲法第十三条は、「(前略)生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定めている。そして生命追求のなかには、「自分は何歳くらいまで生きるつもりだ」という人生設計も含まれると、通常は解釈される。
そういう中では、「六十五歳までもし生きたならば、その人には年金を支給する」との主旨の年金保険制度は、憲法違反である可能性が高い。なぜならその六十五歳までに保険料を徴収しているからである。

それまでの人生でせっかく保険料を納付したとしても、給付年齢の六十五歳までの寿命を国が保障していない以上、納付と給付の関係で損益がどうなるかは「運任せ」となる。
しかもこの世には持病を持つなどで、「私は六十五歳まで生きられそうにない」と感じている国民も少なくないはずだ。そういう人を含め、保険料だけは事前に強制徴収される。

わかりやすい話、年金の支給開始年齢を満八十歳と規定したら、「その年まで生きられそうにないから、保険料を収めるのが馬鹿らしい」と感じる人が増えるに違いない。こうしてみると、年齢によって法を規定することが如何に不平等かがよく分かる。現行の「満六十五歳から年金を支給する」という65という数値は、お役所の立場で果たして何歳にすれば、国民をごまかして、保険料を事前に支払わせることができるかや、どうやったら給付額は最少化出来るかの結節点として決まったと考えて良い。

いくら日本国憲法第十三条が「公共の福祉に反しない限り」との条件を付しているとしても、人生設計という個人の幸福追求権を超えてまで、保険料を事前に強制徴収することは各国民の持つ思想の上の理由だけではなく、損をさせる危険性がある点からも赦されないと言わなければならない。

2011年8月9日火曜日

遺伝子組み換え食品と世界経済

最近受けた講義によると、植物生理学の分野では遺伝子組換え食品の流通を促進している気配が感じられる。そして遺伝子組換え食品の栽培は、特に発展途上国で積極的らしい。

その要因としては、発展途上国は農作物の輸出が稼ぎの大半を占めるという実情がある。つまり遺伝子組み換えにより、農作物の生産性が飛躍的に向上する結果、単位面積当たりの農作物が増え、ひいては発展途上諸国の経済を潤すというのである。

石油などの天然資源とは異なり、人間は栽培を発明することにより農業を発展させてきた。そして過去の政争は食糧の奪い合いが大きな原因であり続けた。そういった事態をみれば、農産物の生産性向上は、戦争や政争を防止する上でも役立つと言える。

リスク管理の実際は、決してリスクをゼロ化することではなく、リスクなどの不利益点と利益点とを比較衡量するすることにあると仮定すれば、遺伝子組換え食品を利用することにより減ると予想される政争と、遺伝子組換え食品による健康被害とを比較して、もし前者の利点が大きいならば、第二農業革命としての遺伝子組換えの研究は、促進されるべきだと言えるだろう。

2011年7月7日木曜日

"自画自賛"は否定的な熟語

いま海水浴の時期を迎え、東日本の各地で水質検査など、放射能の濃度について公表している。しかしそれは各地元に任されているので、信用性が低い。

「自画自賛」とは、良くない意味で用いられる熟語だ。つまり自分で自分を褒めることを揶揄する意味を持つ。国民から見て、地元の自治体等が地元の海水浴は安全だと言われても、自画自賛として信用性が無い。

これを例えば他府県の自治体に水質検査させれば、一定の信頼が得られる可能性がある。つまりA県の海水浴場について、B県に調査を依頼する。

シンポジウムなどを含め、日本人は対立を嫌う。しかし反論や対立を避けてばかりいては、真の姿が浮き彫りにならないという弱点を知る必要がある。自分で自分を褒める行為に比べれば、敵対者が褒める広告的効果は計り知れないほど大きい。

2011年5月29日日曜日

菅内閣と大災難

菅総理は、「このまま総理として政務を取り続けることが、政治責任の果たし方だ」との趣旨を述べることにより、菅内閣が永続するほど、国民の福利もまた永続するかのごとく述べた。

しかし任期中に起きた東日本大震災や、原発事故を見てもわかるとおり、国民の大多数から「疫病神」と思われている。菅総理としては、今後同様の震災が一体何回続けば、国民の福利と自分の内閣とが反比例の関係にあることが分かるのかが見ものだ。

あの図太い中国共産党の指導者でさえ、リーダーの任期中に未曽有の震災が発生すれば、「革命」が起きたとして引責辞任する。

2011年5月20日金曜日

時代の趨勢と登記簿

会社などの法人登記を見れば、時代の趨勢が分かる。つまり会社の目的欄について、その変更や追加の項目を探れば、いま何が儲かりそうで、そして何に対する投資が進みつつあるのかがわかる。

そしてその内容は、同時に「いま何についての職場が増えようとしているのか」についての重要な参考資料だといえる。

会社などの商業登記は元々公開されている。だから各会社の目下の目的欄について、これを全て一覧できるようにすれば、今後何に対し投資が集まるのかが分かる。それは結局、働くための資格などで、何が求められているのかの良い指標ともなる。

ようするに会社の登記簿の目的欄について、これをインターネットなどで検索できるようにすれば、例えば「建設」の文字が増えたのかそれとも減ったのかなど、その用語の多寡によって時代が判別できると言うことだ。

2011年5月16日月曜日

自民党の反省材料

自由民主党はこれまで製薬会社との関係を深めることにより、製薬業界から大きく得票してきた。そこではもちろん、製薬会社の利益を増進させるという政策が実行されてきた。そのため製薬各社の役員の各年収は億単位に上ることも珍しくないらしい。
しかしその半面で、いわゆるゼネリック医薬品採用に対する消極姿勢又は反対姿勢など、旧来の製薬会社の独占や寡占を許す余り、国民に高い薬を買わせ続けてきたという不都合がある。その結果、薬代が国民の医療費負担の大きな部分を占めるに至った。このまま行けば、老人医療費に足を引っ張られる形で、医療費の公的負担がパンク(破綻)することが想定されている。これまで医療機器メーカーや製薬会社に儲けさせ、そして笑わせてきた付けが、近い将来回されようとしている。

今後は規制緩和を通じて、新旧製薬会社間の競争を促進させなければ、国民はますます高い医薬品の支払いに困惑することになるのは明らかだろう。挙句の果てには、低所得者層を始めに、命に関わる治療が受けにくくなる危険性がでてくる。
一部の元首相、すなわち元総裁を除き、医療費を含む社会保障費の抑制策について無策だった点が自民党の反省材料の一つだと言わなければならない。

"最高賃金法"制定案(再掲)

いま最低賃金法という法律があり、要するに都道府県ごとに一定水準以下の賃金で人を雇ってはならないことが規定されている。一見すると、最低賃金は高いほどよいと思われがちだ。しかし一人当たりの労賃単価を高くすると、職種によっては雇う人数を減らさざるを得ない場合がある。結局は失業者、すなわち無賃者を増やす危険性がある。

そこで最低賃金法を廃止して、むしろ逆に最高賃金法を制定すると良い。すなわち雇用契約によって働く労働者については、賃金に上限を設ける。そうすることにより、如何に優秀な労働者であるとしても、雇用契約である場合は、不当に高い賃金を支払うことを、抑制させることができる。
その結果、その支払われない賃金は余剰資金となるから、その浮いた分を他の労働者を雇う可能性が出てくる。これは労賃を通じての独占禁止的効果を狙ったものだ。要するに収入の格差解消や平準化、もしくは雇用機会の増加に資することは言うまでも無い。

企業は本来、自主規制により自らが「腹八分」を実践すべきで、利益や人材の独占は、自らがこれを放棄しなければならない。そうすることにより、公からの規制、言い換えるなら法規制が不要となるから、税などの国民の公的負担は抑制又は減少するのである。
逆に言えば、人材の増幅と一極集中は公的負担率を高め、そしてこれまで国民に損をさせていた側面があることを指摘しなければならない。

ある人が優秀で、もし例えば数億円もの年収を得たければ、それは報酬によって得れば済むことだ。少なくとも雇用契約の労賃の場合は、最低水準を定めるよりもむしろ最高水準を設けるほうが、競争を促進する上での実際上の効果が大きいと言うべきだろう。

結婚紹介所公設案

いま職業紹介についてはハローワークが公設されている。これは国民各自の収入に関する事柄であり、いわば貨幣から経済生活を支える側面がある。
他方で、人間は精神生活についてもこれを軽視することができない。そういう意味で、結婚についても、何らかの形で公が関与することが求められている。
いま日本では、収入はあるのに、結婚相手との出会いに恵まれない者が少なくない。それで婚姻率の低下や晩婚化の現象が見られる結果、少子化が問題視されている。
もちろんこれには、年金など、親の収入に頼ることの出来る世代の増加という、ある意味恵まれた人たちの存在に拠ることも指摘できる。しかし巷で噂の「出会い系サイト」の隆盛をみても分かるとおり、結婚相手を探しているのに見つからないという人たちが増えたのも事実だろう。

これらに対し、公的には目下放置状態にある。
この事態を改め、公共職業紹介所内に結婚紹介コーナーを併設すると良い。そうすれば、職業を探す振りをして結婚相手を探したり、あるいは結婚相手を探す振りをして実は職業紹介を受けるなど、利用者の一元化を実現させることができる。定職に付くことと所帯を持つこととは、相互に深い関係にあるからだ。

職業紹介などの、いわば「お金さえあれば、人は幸せだ」というのは、物事の一面しか捉えていないと言わざるを得ない。夫婦には相互に精神的に支えあうという大切な点がある。そうしてこそ、逆に言えば職業に対する意欲も増す。
以上を総合すると、結婚は決して一部の国民の趣味的あるいは特殊な事情とは言えず、職務に対する意欲と関わる以上、その促進は全国民的な課題だと言える。それで 日本国憲法の条文にも「婚姻」の文字がある。

ハローワークなどの施設内における結婚相手募集欄で、相手に対する希望や、応募期限などの各種条件を見ることがもし出来れば、独身者にとって大きな楽しみとなる。

2011年5月12日木曜日

学習塾と国語

学習塾など、受験産業成否の鍵は、ズハリ国語にある。
生徒諸氏の学習は大まかに文科系と理科系に分かれる。文科系の主要科目は国語と社会で、理科系のそれは数学と理科だ。英語などの外国語科目は文科系と理科系で共通して求められる。
私立大学の場合、受験生が減るのを恐れる余り、受験科目はできるだけ絞ろうとする傾向があるから、この際除外して考える。そこで公立大学の受験科目が問題となる。なぜなら受験科目として文科系であっても例えば数学を課すとか、あるいは理科系であっても例えば国語を課すなどの例もあるからだ。
このうち文科系を目指す学生が数学の成績を伸ばすのは、そんなに難しいことではない。なぜなら、文科系の受験科目にふさわしい形で、数学はやさしい問題が想定されているからである。だから最初は得点が難しかった生徒でも、努力により成績を飛躍的に向上させるのは決して不可能ではない。
しかし理科系を目指す学生は事情が異なる。理科や数学で高度な水準を保つためには、時間が必要だ。そのため通常の生徒は、国語を学ぶ余力が無いというのが実情がある。しかも国語の場合、古典を含むなど、数学の場合のような易しい問題は出しにくい性質がある。

こうした事情から、文科系の学生が数学を受験するのに比べ、理科系の学生が国語を受験する場合は、受験生各自の得点の差が開く傾向にある。つまりいわゆる難関校の受験など、学習を高度化させようとすればするほど、数学や理科では得点の差が生まれにくい分、国語の出来不出来が入試の勝敗を分けることとなる。

学習塾の経営で、文科系及び理科系両方の学生を集めるに越したことは無い。そして特に理科系の受験生を多く集めるためには、国語の成績が伸びることが差別化の要となる。
その点、旧来は国語の教育は必ずしも十分だとはいえない。そもそも日本語の研究自体が、欧米における自国語研究に比べその水準は著しく低いのが現状である。だからこそその教授法も凡庸かつ限定的とならざるを得ない結果、数学のように後から急に成績が伸びるということが実現しにくいのである。

2011年5月11日水曜日

弱者と初心者

初心者は未知の事柄に対し極度に恐れるか、又は不審を持つ傾向がある。そして既知の事柄に対し極度に侮るか、又は信じすぎたりする。子供がその典型だ。
お年よりは人生経験があるから、決して初心者ではない。だから子供と比較しても、既知の事柄を侮る傾向は薄れる。
しかし未知の事柄に関心を失ったり、あるいはそれを容易に信じなかったりする点で、初心者的傾向は残る。
これらの幼児や老人をまとめて、「弱者」と定義することもできる。

その逆の「強者」は、初めての事柄や初めての人を、極度に恐れたり不審に思ったりしない。それは知識の豊富さに裏付けられた、自己の防衛力に対する信頼が根拠となっている。そういう精神的な余裕が、他方で既知の事柄や人を極度に蔑んだりしないという、敬愛の態度をもたらす。

2011年5月8日日曜日

初夏と団扇

今日は気温が高く、今年初めて団扇を使った。
岡本英三
Okamoto Eizo

2011年5月7日土曜日

日本の貨幣



日本の貨幣 (JAPANESE COIN)



十円 10 Yen
重さ 約4.5グラム≒6/5匁=6/5×五円 =5 Yen
金の密度≒19.32 g/cm3
銀の密度≒10.49 g/cm3
銅の密度≒8.96 g/cm3
鉄の密度≒7.86 g/cm3
水の密度≒0.999973 g/cm3 (3.98℃)










    【メートル法】




  • 中国秦時代の一斤(旧斤)=13金=24銀=28銅=32鉄=水九立方寸≒251 g


  • 一銭=1/60旧斤≒4.18 g、 大一両=小三両=十銭≒41.8 g


  • 唐目: 一斤=百六十銭、唐(新)斤=160/180旧斤≒223.1 g、唐銭=1/60新斤≒3.72 g(一匁)


  • 立方寸(後漢)=水一小両=10/3唐銭≒12.4 cm3、一石=1620立方寸(規定)≒20,088 cm3


  • 新一升=旧九升=1/100石×9



 【Troy Weight】


1 pound(lb.t.) = 100 匁(monme) = 30 立方寸(sun3=water)


1 斤(kin) = 60 匁(monme) = 3/5 pound(lb.t.)


1 升(shou) = 16 立方寸(sun3) = 8/15 pound(lb.t.=water)

2011年5月6日金曜日

東京電力と電力自由化

東日本大震災で放射能が漏れるなど、東京電力㈱の不祥事かあきらかとなりつつある。その際、東京電力が罰として一番恐れるのは、電力の自由化だろう。
これまでは例えば関東地方の電力供給を担当するなど、各電力会社には地域を区切って独占事業を許してきた。しかし今回のように原子力発電所が停止することになれば、その地域は節電を強いられるなどの不便がある。そういう不都合を避けるためには、例えば東京の住民が北海道電力の電気を買うことができるなど、電力の自由化が不可欠だ。
旧い設備をいつまでも使い続けるという、安全軽視かつ利益第一主義で通してきた結果今回の原発事故が起きたのだから、今後も引き続き東京電力のみに東京などの大都市圏の電力供給を任せなければならない、積極的な理由は見出せない。

2011年5月3日火曜日

年代別議席案(再掲)

地方議会を手始めに、年代別に議席を割り振ると良い。つまり有権者の年代構成に応じる形で、80代には五議席とか、20代には八議席など、あらかじめ議員の議席数を確保しておく。もしその年代の立候補者数が議席数に満たないときはそのまま欠員とする。

従来は選挙にお金がかかるなどの諸要因により、立候補者又は当選者は、どうしてもその資金を用意できるものに偏っていた。そしてその年代は中高年で占められる現実がある。しかし議員が職責の対象とする自治体職員には、そういった年齢又は年代別の偏りは無い。こういう不都合をなくすためには、ある程度の強制力が必要である。その一環として年代別に議席を用意すると良い。

こうすることにより、「立派な政策案は持っているが、資金などが無いために立候補できないか、又は現実には当選しない」という理由で政治家を志すことをあきらめていた人、例えば若者でも、従来に比べれば競争率が低下するから、当選しやすくなる。そして議員の年齢構成の偏りも是正することができる。

議員は国民全体を幅広く代表しなければならないから、事情はどうあれ、現実に年齢構成に偏りがあることは異常と考えなければならない。こうして国民の平均的な姿勢や意見を集約してこそ、日本国憲法が想定する民主主義は実現できるのである。

駄目な政治家は駄目な有権者が作る(憲法記念日)

愛想ばかりが優先し、その半面で有力な政策を持たない政治家が、駄目政治家の代表だと言えるだろう。そうした駄目政治家は、実は有権者が作っている。

政治家は得票数が少なければ当選しない。その得票のために、立候補者は選挙の前後を通じて、お世話になった者などへのあいさつ回りやお礼の電話をかけることを欠かすことができない。なぜならその候補者に一票を投じた有権者が、もし挨拶が無ければ納得しないからである。しかしそのようなあいさつ回りや電話をかけることには、当たり前だが費用がかかる結局、そういう費用をかけられる者、言い換えるなら資金を持つものしか当選しにくいという現実が、選挙には少なからずある。

このようにして、「選挙にはとかくお金がかかる」という悲劇が形成されてゆく。極端な場合、「政策は二の次で、挨拶などの愛想が良いかどうかが、選択の基準だ」と嘯く有権者も、決して少なくないはずだ。このような中、立候補者は当選後に、様々な手段によってその要した費用を回収しようとする。その手段の中に利権、すなちわ特定の有権者のために利益誘導することによって、金銭の対価を得るという行動がある。

これらをまとめると、貴族や豪族あるいは名士など、有力な有権者であればあるほど面子が強いから、立候補者に挨拶又は愛想を求めるようになる。そして当選後に立候補者が、その有力有権者の利便を図る。そのような貴族による、貴族のための政治がまかり通る結果となる。

有権者が「政策に感心して、その候補者に投票したのだから、別に挨拶など来なくても構わない」という意識を持たなければ、お金のかかる選挙は永遠に繰り返される。そして浮動票など、有力でない有権者に「どうせ、誰が当選しても変わらない」と感じさせることになる。
それだけではなく、下手をすると、「政治家としての政策案、つまり資質は無いのに、愛想だけは一流だから連続当選する」という、理想とはかけ離れた政治家を再生産する現実をも生みかねない。

歴史と伝統には誇るべき一面がある。しかし他方で、歴史と伝統は貴族政治を生む素地があるという欠点も、充分に認識しなければならない。日本国憲法に言う「民主主義」とは、極論すれば非貴族もしくは貧困層中心主義のことなのである。政治家は名も無き貧困層の家僕であるべきで、決して名士の家僕であってはならない。表面的には投資家や資産家の僚友を装うとしても、その本質は、如何にして投資を道徳的な経営者(商人)の育成に役立たせるかに苦心するようでなければならない。

2011年5月2日月曜日

銀行店舗営業規制案

元来、規制の強化には反対の立場だ。
しかし銀行、保険、証券などが百万都市を含む目抜き通り(メイン・ストリート)の建物の一階で堂々と営業している姿には、違和感を感じると同時に目を覆わざるを得ない。

銀行、保険、証券などの金融業は、本来恥ずかしい業態である。だから立地条件の良い場所については、むしろ商店などの金融業以外の店舗に譲るのが理想であると同時に原則的であるべきだろう。
しかし目下、目抜き通りのビルの一階は銀行などで占められていて、その分例えば洋服のお店などが開店できない現状がある。これは放置していては改まることは無いだろう。

そこで、法律にお出まし頂かなければならない。すなわち金融業については、これをビルの二階以上でなければ開設できないこととする。そうすることにより、金融業以外の店舗を一階に開店し易くなるから、街も活気付くに違いない。そして「ウィンドウ・ショッピング」という言葉も現実味を増す。

これまでのように金融業が建物の一階で営業しているその景観は、単に街の活気を奪うだけではなく、殺風景であり、なおかつ美的感覚からも見苦しいというべきだろう。

2011年4月29日金曜日

2011年4月21日木曜日

片山虎之助氏



参議院議員で政党「たちあがれ日本」参議院幹事長の片山虎之助氏が、呉市議会議員選挙の関係で広島県呉市にやってきた。

2011年4月19日火曜日

石原東京都知事の経済構想

石原東京都知事は、以前カジノ構想といって東京都内にカジノを建設することにより外国人を誘致するなど、経済発展を目指していた。しかし昨今では電力の節約が大切だということで、飲料水などの自動販売機についてこれを好ましくないとの考え方を明らかにしている。一般的に言えばネオンサインや賭博の機器などにより、カジノは大量の電力を消費する。これはパチンコ屋と同じだ。ようするに石原知事は、「経済発展のためには、電力の大量消費は気にしなくても良い」との基本的考え方を持っていたことになる。 それなのに今回は、カジノどころか、自動販売機やパチンコ屋までもが好ましくない物の代表例として挙げられている。これを推察すると、石原都政は、「経済発展のためには電力の消費に注意しなくても良い」との考えから、「電力の消費に注意するためには、経済発展の優先度は低い」との考え方に変えた可能性がある。もしそうなら、かつてカジノ構想を打ち立てたときと、考え方が変わったのかどうかについて、公式の場で一言説明が必要だろう。

2011年4月18日月曜日

2011年4月16日土曜日

マイケル・サンデル(教授)出演

米国大学教授のサンデル氏がTV出演して色々な議論をしている。この人の議論のキー・ワードは常に「市場原理主義」である。これはカトリック主義か、それともプロテスタントかということだ。


カトリックは中世の修道院が出発点となっており、「晴耕雨読」の聖職者中心主義だった。ようするに商人などのビジネスマンよりも、清貧を旨とする学術者を上位におく考え方だ。インドも似たような社会である。


ところが商人中心のイスラームやプロテスタントは、金融を容認する程度に違いがありつつも、学術よりも実務のほうに重きを置いた。そして利益の独占を目論む各商人を、どうやって弱者に対する配慮、すなわち道徳的であらせ続けるかが、資本主義、つまり金融中心主義の課題とされた。 銀行などの間接的投資家や、株主などの直接的投資家が果たして道徳的な経営者を育てることができるかが、資本主義の壮大な実験の成否の鍵を握る。このためカトリックは総じて工業化には反意的だ。


ただし人間の利便性や快適性に対する希求は、カトリック勢力の想像をはるかに超えて強い。そういう前提に立てば、資本主義を貫徹させるための完全競争原理を確立するしか、最大の幸福を人々に与えることはできないことは、すでに答えは出ている。その証拠に、決して飢えるわけでもないのに、人間は豊かな大地を巡って壮絶な殺し合いを繰り広げてきた。つまり豊かさのためには命をもかけた。その他に自由や信念、貞節などを守るため「死んだほうがましだ」ということで、命を落とす者は意外に多い。つまり身を投げたり、命の危険を冒して戦う。たとえどれほど多くの犠牲者が出ようとも、一度手にした自動車、航空機や刃物及び拳銃は二度と廃棄しようとはしない。核分裂が有効な発熱源又は動力源であると知るや、たとえどれほど危険でも、二度と放射線物質を捨てようとはしないだろう。


人間の経緯は、「ただ生きてさえいればそれでよい」という動物的感覚から離反する歴史だった。それを文化化と呼ぶべきかどうかはともかく、「命よりも重い価値を、無限に増やしてゆく」過程であることは間違いない。 そういう、「命よりも重い価値」のうちにもし物質が含まれているとすれば、市場原理主義と道徳との宥和は、決して不可能ではない。

都知事選候補者渡辺美樹氏

今年度の東京都知事選に、居酒屋チェーン創業者の渡辺美樹氏が立候補した。彼は言うまでも無くビジネスマンであり、商人の一種だ。それで「東京を経営する」との政治方針を打ち出した。


しかし商人の原理と政治の原理は、対照的ともいえるほど異なる。渡辺氏はサービス業を成功させたから、「自分には人気がある」と感じたのかも知れない。しかし商人は本来的に利益の独占を目論む存在だから、原理的に人気があるなどといったことは無い。それを渡辺氏だけではなく各商人は心得なければならない。商人にはそういう原罪とも言うべき性質があるからこそ、ご愛顧いただくという精神が忘れられてはならないだけではなく、義務感として還元を忘れてはならない。


他方で政治家は敬愛されるべき存在だ。なぜなら集積された税と公務員の頭脳を、如何にして弱く貧しい人たちのために活用するかが、普通選挙、すなわち一人一票の参政権が与えられる中での責務となるからである。そういう職責を忘れるものは、当然ながら次期選挙で落選する。選挙権が頭数によって与えられる民主主義では、貧しいものや弱い者の頭数が多い関係で、政治家は貧しい者や弱い者のことを配慮しなくては当選しない仕組みがある。


このように、政治家と商人は原理的に相容れないことが分かる。繁盛した商店主が「俺は人気がある」と断定するのは実は虚構に過ぎない。顧客を欺き、取引先を欺き、労働者を欺き、出資者を欺いた結果として経営者の手元に貨幣が残るというのが、商取引の実態に他ならない。その証拠に、相手に原価を告げて取引する商人が利益を出したためしがない。


むかし江戸時代を背景とした「ネズミ小僧」という劇作があった。その主人公のネズミ小僧は常に大商人からその有り余る貨幣を盗んでは、貧しい人々に分け与えた。それで人々から英雄視された。これを言わば合法的に行うのが政治なのである。


商人は"半騙し"が上手いからこそ成功する。それを決して「敬服されている証拠だ」などと間違っても思ってはならない。

2011年4月3日日曜日

原子力発電所と人工島

日本の土木水準によれば、原子力発電所を設置するだけの広さを持つ人工島を建設することは不可能ではない。 今回の東日本大震災で、放射能漏れが危惧されている。しかしもし原発を例えば十キロメートル沖の人工島に設置すれば、仮に放射能が漏れたとしても近隣住民に対する被害は、より少なくて済む。 大事故の場合は、例えば「ピン一本抜くだけ」で島が沈むような仕組みにしておけば、事後の処理も慌てなくても済む。一般に人工島は津波などの大波に弱いと思われがちだ。しかし最初から津波を想定し、波に反しないような浮き構造にしておけば、陸上に設置するよりもよりもむしろ安定的だということも、決して不可能ではないだろう。 もし「少しだけ沈む」という仕組みができるならば、緊急の冷却が必要なときに原子炉内に海水が流れ込む程度まで沈めることも、技術的には可能だろう。

被災支援とコンビニ弁当

今回の東日本大震災では、コンビニの弁当が売り切れとなったと想像できる。ただし午後のコンビニでは賞味期限切れとなったお弁当を次々に捨てる光景を目にする。これは食品衛生法など、食品の安全性を最大限に考慮した、コンビニエンス・ストアの利点である。 しかし他方で、この法律厳守の姿勢は、大震災で食糧難に苦しむ被災者にとっては仇となる。なぜなら、食料が足りない人がいる一方で、賞味期限切れとなったお弁当などが次々に捨てられるという矛盾が生じるからだ。賞味期限切れのお弁当は、実際にはまだ充分に食べられる。 そこで震災の際には特例として、食品衛生法などの適用を緩和し、一日か二日賞味期限を過ぎた程度の食品については、これを無償で被災者に渡しても良いと運用する必要がある。そうすることで、「たまには違う食べ物が食べたい」との被災者の要求に応えることができる。

2011年4月2日土曜日

民主党の矛盾

民主党はこのたびの「東日本大震災」の復興又は復旧に際し、財源が足りない可能性があるとして、増税をにおわせた。しかし民主党は自民党との政権交代を目指しているときは、あたかも財源は豊富にあるか、または充分に捻出できる旨の発言を繰り返していた。つまり当時の政権党である自民党に対し「本当はあるはずのおカネを隠している」との主張をしていた。それなのに今回の大震災に向けては一転「おカネは無い」との方向転換をした。お金が無いのなら無いという結論でもかまわないが、野党時代に自民党を攻撃していた内容、すなわち「おカネはあるはずだ」との主張は撤回すると同時に、その見当違いを有権者に謝罪しなければ、区切りは付かないだろう。 このままでは、民主党は「なし崩し党」または「ズルズル党」と改称せよと言わざるを得ない。

2011年3月11日金曜日

東北地方の大地震と民主党政権

今日発生した東北地方の大地震は、大きな津波をもたらすと共に、多数の犠牲者を生んだ。このような災いが多発するときは、古今東西、政治の責任だと判定されることが多い。
今回の大災害も、民主党政権が行っているような、貴族趣味的な権力闘争に対し、神が天罰を下したと見れなくも無い。

菅内閣は「私たちは何も悪いことはしていない」と考えているのだろう。それはその通りなのかも知れない。しかし人間には「ツキの無い男」など、運の要素も軽視することができない。かつて卑弥呼などの女王が誕生したときも地震などの天変地異が多発したことが想定されている。つまり男性による統治時代に不幸な災いが多発してので、女性に政治を任せたことが想像される。

このように、人間の運の強さや弱さ又は運の悪さなどの要素を加味して考えるとき、たとえ為政者が悪事を働いていないとしても、国民に災いをもたらす、自身の運の悪さによって政権を他に移譲するのも、賢明な政治家のあり方だと言えるだろう。

2011年1月11日火曜日

不動産不況打開策

不動産不況の解決に向けては、賃貸住宅と農地とをセットで商品化すると良い。いま農業に対する関心が高まっているところ、農家でないものが農地を借りようとしても成功しないことが多い。そこでアパートなどの賃貸住宅を貸し出す際に、希望者に対し農地も付けて貸す仕組みを設けると良い。こうすることにより、従来ならば住宅と農地を別々の交渉で借りなければならなかった手続きを簡素化させることができる。住宅の借り手は、農地を借りる面倒な手続きから解放される。

農地の所有者は、先祖伝来の田畑を手放したくない反面で、農地を遊休させたくない願望がある。その点賃貸住宅の入居者に貸し出すことにすれば、所有権を手放さないで、なおかつ農地を有効活用することに成功する。

このようにして農業への志向が強い入居者を獲得することに向け強い差別化を図るためには、農地の借地権とセットで広告するのが有効だと言える。