2012年6月10日日曜日

有休農地と救貧

今非正規雇用など低収入が原因で生活保護を受けようとする国民が増えつつある。その一方で所有する農地を遊ばせたまま悠然と生活している人たちも多い。このちぐはぐ(齟齬)を無くすためには、もっと遊休農地を活用させる手段を講じなければならない。そのためには遊休農地を低所得者に無償で譲渡させる「ミニ農地改革」を再実行する必要がある。

日本人は太平洋戦争に敗北し、占領政府など「外圧」がなければ、農地改革や財閥解体などの資産再配分を自力では成し得ない欠点を持っている。しかし遊休農地が今日ほどまでに増え、なおかつ経済格差が叫ばれる今こそ、自力で農地改革を実行する絶好の機会だ。

具体策としては、遊休農地を一人一反を基準に、低所得者に再配分する。そして換金防止のため、例えば「十年間売買禁止」と登記を打つ。このようにして、例えば自分では動けない低所得者も譲り受けた農地を賃貸に出すことで収入を得ることができる。

いま農業を志望する若者が増えてるそうだ。そういう若者が実際に農業を始めるに際し障害となるのが、農地の所有者がなかなか農地を手放さなかったり、或いは貸さなかったりすることだ。つまり農地の各所有者が「所有権絶対の法則」を悪用するなどして私益を優させる余り、公益を顧みない行為を行うことが原因となっている。この事態を改めるには「食糧安保など、農地には一定の公益性がある」との観点の下、強制力を用いることが必要だといえる。

結局農地は、それが如何に使用されているかについて、所有者からの報告義務を強化し、一定期間報告が無いか、又は虚偽報告が明らかとなった時は、所有者を交代させる強行措置が必要だ。その時の所有者交代の良い受け皿として無産階級としての低所得者がある。低所得者は一般に所有物が少ないから、農地からの収入があればすぐに消費に向かうことが期待できる。その意味で景気対策にもなる。

農地だけだはなく現代日本では、空き家や空き室も増えている。この空き家や空き室を組み合わせることにより、農業者の住居として有休農地の所有者交代は実現しやすくなる。すなわち空き家についても遊休農地と同様の強制措置が必要だろう。

英雄と中華

「華」とは、中国人の尊称だそうだ。「華」は「はな」と発音し、これは「花」と同じだ。しかし花が草の変化を指す自然的概念であるのに対し、華は多分に文化的又は人工的な側面を持つ。つまり文として化けた人間の集団こそが「華」なのである。それは顔の中で鼻こそが中央を占めることと関係があるだろう。ちなみに華の草冠の下の部分は、藤などの花房を意味するそうだ。

その点「英(はなぶさ)」という文字は、「華」と意味的に共通する。例えば英雄など、「英」の文字を用いる単語には、自然的と言うよりもむしろ人工的又は対人的な意味合いが強い。

都市は一般に、自然よりも人で溢れている。だから都市では「花」よりも「華」の概念が多用される。結局ある人物が華又は英となるには、対人関係における知恵が必須だと言えるだろう。

【参考図書】 王敏著「花が語る中国の心」中公新書

瓦礫の山と宝の山

今全国の各自治体で東北震災に伴って出た瓦礫について、その処分を受け入れるかどうかが話題となっている。特に東京電力福島第一発電所の周辺の瓦礫については放射能に汚染されている可能性が指摘されることも手伝って、受け入れをためらう自治体が多いのが現状だ。

しかし瓦礫は宝の山という見方もできる。なぜならその中には使われた電子機器などの金や銀、及び希少金属が含まれているからである。日本は鉱物資源に乏しいので、瓦礫から希少金属を取り出す技術と費用次第では、取り出した各種金属を販売するなど、ビシネス、すなわちお金儲けへと発展する可能性を秘めている。

それに加え、原発反対の世論の中、火力によって発電用タービンを回すことへの期待感が復活する情勢にあっては、ゴミを焼却処分するときの発熱は、貴重な熱源として、再利用する価値がある。

これらを総合すると、ゴミ又は瓦礫を宝の山とすることもあながち不可能ではないだろう。

2012年6月4日月曜日

勤労者志向と自由主義

納税や法規制など、あらゆる不自由又は拘束から逃れることを尊重する考え方を自由主義という。その延長線上には政府の不要化があることは言うまでもない。

ところでこの世には「何もすることがないのは苦痛だ」という人々が確実に存在する。日本人にはとりわけ目立つ。この人々は勤労者を志望する確率が高い。なぜなら勤労者とは、時間を売るという要素を多分に含むからである。すなわち暇は忌まわしいと考える人にとって、暇つぶしが金銭へと結びつく勤労は一石二鳥に当たるからである。

逆に言えば、「すべきことを何か命じてくれ」と言わんばかりの勤労者志向の者が多数を占めると、そこは自由主義とは程遠い社会となる確率が高い。

自由主義は「自分でやりたいことは自分で見出す」人たちが持つ考え方だ。そういう意味からすれば、勤労者志向の者は、非自由主義的発想の持ち主として、実際には自由主義を遠ざける効果を発揮していると言えるだろう。旧来の農民などはその典型である。農民の生活、言い変えれば生計では、自由な発想よりもむしろ同じ事をコツコツと繰り返すことに価値が置かれる。そしてそこでは、例えばアイデアを練るなどと称して、働かないで考え事ばかりしている者は嫌われるか、又は忌避される。

徳川幕藩体制を含め、行政権が強固な時は秩序が保たれるという利点があった。その一方で奇抜なアイデアなどの自由な発想は抑圧されたと言って良い。

【結論】 行政権は自由主義の敵である。

2012年6月3日日曜日

車の屋根と太陽光パネル

炎天下の交通渋滞では、もし燃料がなくなったらクーラーが使えなくなるから、社内は地獄の様相を呈する。車が動かないから、風も入らない。その際、仮にエンジンが止まっていたとしてもエアコンを動かすことが出来れば、長時間の渋滞にも耐え易くなる。

その点太陽光パネルは打って付けだ。なぜなら炎天下こそ、太陽光パネルは効率良く発電するからである。つまり太陽光パネルは、クーラーの強い味方だ。クーラー以外にも、車内で電気の使い道は多い。

親が車内に子供を置いたままパチンコなどに夢中になって子供を熱中症で死なせる事件も、エンジンを切ったままでエアコンが使える事態となれば、きっと減るだろう。

車の屋根に太陽光パネルを設置するときは、パネルを強化ガラスで覆う必要がある。そういうガラスが開発される日は、そう遠い未来ではないと予想する。

ハローワークとコンピューター

【時代の変革】 今日本は家電や自動車など大手製造業が軒並み苦境に立たされている。近代の産物としての家電や自動車に対する憧れの低下に伴って、消費者が価格に対し厳しくなり、逆に言えば「見えない出費」をしなくなったからだ。要するに良い意味でも悪い意味でも、自動車や家電は実用化した。

それに加え、慢性的な円高現象により、輸出にも依存できなくなった実態がある。そのため貯蓄が底をついた暁には、大手製造業が倒産する危険性に直面している。これは戦後以来の革命的な現象だ。

今後の日本は製造よりも文化の輸出とか、あるいは資本の輸出などで生計を立てなければならない。そのためには、かつてのような「工場自動化」から「事務自動化(オフィス・オートメイション)」へと人材を大幅に移動させなければならないだろう。その際はコンピュータを使う人材が圧倒的に足りない。

【ハローワークと人材】 旧来のような、新規学卒者の一括採用及び終身雇用が一般的だった時代には、端的に言ってハローワークなどの職業安定化業務は日陰の身だった。つまり終身雇用に漏れた者が利用する「特殊な場所」という印象は免れなかった。

しかし昨今では人を長い時間かけて教育する余裕を、各企業は失った。それよりもむしろ転職者などの即戦力を人材として希望するようになった。そいいう、過去の経験を重視する求人が増えれば増えるほど、ハローワークなどの職業安定業務の職責が増す。

以上のような状況を総合すると、職業訓練などにおけるコンピュータの指導が如何に重要かが分かる。つまり文化や資本の輸出には、理科系よりも文化系の人材こそ、コンピュータが必須となる。工場労働者も今後はパソコンを使いこなせなければならない。

いまハローワークでは、タッチパネル式の画面が用意されていて、求職者が求人を探索する仕組みになっている。その一部についてキーボード式のコンピュータを導入すれば、わざわざ別個に職業訓練などしなくても、自然にキーボードに親しむことができる。これは一石二鳥だ。人の集中力を引き出すのはもともと簡単ではない。コンピュータに馴染めない者にとっても、コンピュータの操作を習うことへの集中力を高めることは決して容易ではない。しかしたった一個だけ、人が集中力を発揮する場面がある。それが何かを探している時だ。

求職など、何かを探している瞬間はそれまでコンピュータに馴染めなかった人がキーボード操作に慣れる絶好の機会だと言える。

太陽光パネルと共同購入

今年は”節電の夏”ということで、暑い時期を電化製品なしでどうやって乗り切るかが話題となっている。それというのも原子力発電の危険性について批判が増えているからだ。そこで代替的な発電方法として太陽光パネル注目されている。

ただし今年になって急な需要に応えるためには、まだ大量生産体制が十分ではない。そのため、太陽光パネルが五十万円台とか、あるいは蓄電池が百数十万円など、価格も決して低くない。

そんな中早期に導入するためには、例えば五軒毎に共同購入するというやり方がある。五軒程度であればその内の一軒ぐらいは広い庭とか、あるいは遊休農地を持っている家があるだろう。そこに比較的大規模な太陽光パネルを設置すれば、一軒当たりの購入費用が安く済む結果、導入が早くなる。五軒程度であれば電線も短くて済むだろう。

こういう手法は原則的には太陽光パネルの販売者やメーカーが促進することだ。しかしそれを待っていられない場合は、例えば自治会や町内会単位で共同購入を持ちかけるのも良い方法だ。

かつては「戸」は三十人程度が一塊となって共同生活を営んでいた。戸長というのもいた。それとは別に「保」という共同体の単位があった。これは五軒ぐらいの単で共同責任を負った。このよにして、かつては山林の入会など、共用がよく利用された。このやり方を太陽光発電設備の導入に利用しない手はない。