日本国憲法第十三条は、「(前略)生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定めている。そして生命追求のなかには、「自分は何歳くらいまで生きるつもりだ」という人生設計も含まれると、通常は解釈される。
そういう中では、「六十五歳までもし生きたならば、その人には年金を支給する」との主旨の年金保険制度は、憲法違反である可能性が高い。なぜならその六十五歳までに保険料を徴収しているからである。
それまでの人生でせっかく保険料を納付したとしても、給付年齢の六十五歳までの寿命を国が保障していない以上、納付と給付の関係で損益がどうなるかは「運任せ」となる。
しかもこの世には持病を持つなどで、「私は六十五歳まで生きられそうにない」と感じている国民も少なくないはずだ。そういう人を含め、保険料だけは事前に強制徴収される。
わかりやすい話、年金の支給開始年齢を満八十歳と規定したら、「その年まで生きられそうにないから、保険料を収めるのが馬鹿らしい」と感じる人が増えるに違いない。こうしてみると、年齢によって法を規定することが如何に不平等かがよく分かる。現行の「満六十五歳から年金を支給する」という65という数値は、お役所の立場で果たして何歳にすれば、国民をごまかして、保険料を事前に支払わせることができるかや、どうやったら給付額は最少化出来るかの結節点として決まったと考えて良い。
いくら日本国憲法第十三条が「公共の福祉に反しない限り」との条件を付しているとしても、人生設計という個人の幸福追求権を超えてまで、保険料を事前に強制徴収することは各国民の持つ思想の上の理由だけではなく、損をさせる危険性がある点からも赦されないと言わなければならない。
2011年8月17日水曜日
2011年8月9日火曜日
遺伝子組み換え食品と世界経済
最近受けた講義によると、植物生理学の分野では遺伝子組換え食品の流通を促進している気配が感じられる。そして遺伝子組換え食品の栽培は、特に発展途上国で積極的らしい。
その要因としては、発展途上国は農作物の輸出が稼ぎの大半を占めるという実情がある。つまり遺伝子組み換えにより、農作物の生産性が飛躍的に向上する結果、単位面積当たりの農作物が増え、ひいては発展途上諸国の経済を潤すというのである。
石油などの天然資源とは異なり、人間は栽培を発明することにより農業を発展させてきた。そして過去の政争は食糧の奪い合いが大きな原因であり続けた。そういった事態をみれば、農産物の生産性向上は、戦争や政争を防止する上でも役立つと言える。
リスク管理の実際は、決してリスクをゼロ化することではなく、リスクなどの不利益点と利益点とを比較衡量するすることにあると仮定すれば、遺伝子組換え食品を利用することにより減ると予想される政争と、遺伝子組換え食品による健康被害とを比較して、もし前者の利点が大きいならば、第二農業革命としての遺伝子組換えの研究は、促進されるべきだと言えるだろう。
その要因としては、発展途上国は農作物の輸出が稼ぎの大半を占めるという実情がある。つまり遺伝子組み換えにより、農作物の生産性が飛躍的に向上する結果、単位面積当たりの農作物が増え、ひいては発展途上諸国の経済を潤すというのである。
石油などの天然資源とは異なり、人間は栽培を発明することにより農業を発展させてきた。そして過去の政争は食糧の奪い合いが大きな原因であり続けた。そういった事態をみれば、農産物の生産性向上は、戦争や政争を防止する上でも役立つと言える。
リスク管理の実際は、決してリスクをゼロ化することではなく、リスクなどの不利益点と利益点とを比較衡量するすることにあると仮定すれば、遺伝子組換え食品を利用することにより減ると予想される政争と、遺伝子組換え食品による健康被害とを比較して、もし前者の利点が大きいならば、第二農業革命としての遺伝子組換えの研究は、促進されるべきだと言えるだろう。
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