2012年5月31日木曜日

生活保護の”不当受給”と貨幣の循環

【社会習慣の変化】

今ある芸能人が、高額の所得があるにも関わらず、その親族が生活保護を受給していることに対し援助せず、そればかりか手続き上は不備はなかったとして親族が生活保護を受け続けることが不当だけれども不正ではなかったと主張し、それが話題となっている。要するにこれは、「お金持ちなのに生活保護を受けている輩がいる」ことが課題となる。

この点旧来ならば隣近所の相互監視のもと、「生活保護を受ければ一時的にせよ得するけれども、しかし恥ずべきことだ」という見方が、生活保護制度を安易に利用したり、あるいは悪用することへのブレーキになっていた。しかし地域社会とか親族関係が希薄になるにつれ、隣近所や親族が相互扶助を行う習慣が無くなることに反比例する形で、”不当受給”"は増加したと言って良い。つまり旧来は地域社会や親類縁者からの一時的な支援すら受けられない者は例外的といえるほど少なかっったが、近年では誤った個人主義の運用が孤立を生んだ結果、勢い生活保護に殺到したというわけだ。いや正しくは殺到せざるを得なくなった。そうした習慣の変化により、親子であっても家計は相互に独立という考え方が支配的となった。それで例えば息子は高収入なのに、その親が生活保護を受けている事態が、ある意味正当化される不都合が起きる。

短期的に見て習慣の変化のきっかけとなったのはリーマン・ショック以降の金利制限と、融資を絞られることによる貨幣循環の停滞が挙げられる。

【社会保障と国家権力】

その原因は、皮肉なことだが社会保障の充実にある。社会保障の本質は「困った時は国民は全て国を頼れ」という点にある。だから「国中の貨幣はすべて国庫に入り、すべて国庫から出る」という貨幣循環となる。その際は一時的にせよ国家公務員組織が貨幣を手にする。貨幣を手にすることは権力を持ったも同然だ。

その結果各国民は国との繋がりは強くなった反面で、地域社会や親類縁者との付き合いを失ったっと断じて良い。つまり社会保障には国民の団結や相互扶助を分断する効果があるのである。戦前の日本では公務員組織は「お上(おかみ)」と呼ばれて畏敬されてきた。すなわち公務員組織は国民の上位に位置づけられた。日本国憲法のもとでは公務員組織は国民の下僕と位置づけられる。

しかしそれにもかかわらず国民は上、すなわち国ばかり見て横、すなわち近所や親族を見ない事態となっている。これではまるで、官僚が親鳥で国民はひな鳥みたいだ。

【解決策】

今回の事態について、短期的な解決法は種々ある。しかし官僚支配という根本問題を解決するためには、生活保護を含め、社会保障は段階的に縮小又は廃止するのが望ましい。つまり老後や病後の安心は徒歩圏内の地域社会や又は親類縁者が担うか、又は融通する社会へと「リセット」する必要がある。そうすることにより、「たとえ苦労してでも隣近所との付き合いや、子孫を産み育てることをしておかないと、いざというとき誰も助けてくれない」という世の中を作るのだ。そうすればみんな嫌でも子供を持とうとするから、少子化対策にもなる。

2012年5月24日木曜日

婚活と混浴

江戸時代の昔、日本では公衆浴場で混浴が実施されていた。この混浴は婚活に役立てる事ができる。なぜなら、未婚の男女が一緒に入浴すれば、それはコミュニケーションの場を提供することになるからだ。

その手法としては、混浴用の風呂場の建設に対し自治体が補助金を出す手法がある。なぜなら、現代の公衆浴場業者は「混浴風呂を作ってもお客は来ないだろう」と恐れ、建設を躊躇することが予想されるからだ。必要ならば公衆浴場法など、法改正を行うと良い。

現代の若者など、独身者は個人主義に慣れている反面、異性について相互に違和感や不信感を持つものが多い。そういうことが遠因となって、男女が結びつきにくくなっているのである。昨今の課題として未婚率の上昇が挙がられるのは、結婚する相手が見つかっているのに経済的理由で結婚が延期されているのが原因ではなく、そもそも「相手が見つからない」とか、「異性に出会うチャンスがない」ことが主要因となっている。そういう課題を解決するためには、いろいろな手段を講じなければならない。

その点従来の男女別々の風呂場に加え、銭湯などで混浴用の風呂場を増設すれば、男女の出会いの場が増える結果、婚姻率の上昇に役立つ。心理的に考えても、男女が同時に入浴するという、いわば間接的なスキンシップを望む潜在需要は決して小さくないに違いない。

【結論】 江戸時代の人にできることが現代人にできないはずは無い。

2012年5月22日火曜日

東京都知事と大阪市長

明治維新など、いわゆる中央集権体制を標榜、すなわち政策の中心にすれば、中央省庁職員はきっと泣いて喜ぶに違いない。だから「維新」という言葉を用いる政党が現れることは、官僚には歓迎すべきことだ。

中央集権体制では、中央は一箇所が想定せれる。その意味で分からないのは、東京都知事石原氏と大阪市長橋下氏が協定を画策していることだ。なぜなら、もし両者ともに中央集権体制を目指しているとすれば、本来ならば日本の中心を東京にするか、それとも大阪にするかをめぐって、両者はライバル関係にたつはずだからだ。

ただし実際には地方自治体の権力を強めようというのが、両者の一致する政策だろう。要するに「反中央集権体制」だろう。だとするならば、「維新」という言葉は看板に偽りありと指摘されても仕方がない。

【結論】 「西欧(プロテスタント)に追いつけ、追い越せ」という時代は我が国ではすでに終わり、新たな時代を迎えつつある。そんな時に、「この世のすべての貨幣は一旦国庫に集まり、そしてすべての貨幣は国庫から出る」という仕組み作りは時代錯誤も甚だしい。

明治維新とは何か

 今政界やマスコミ界で、大阪維新の会が話題となっている。ここで「維新」という言葉は、おそらく明治維新を意識しているのだろう。そこで維新の政体はいかなるものであったのかが問題となる。

明治維新は天皇を中心とした政体であると、表面的には捉えられている。しかし実際は、徳川幕藩体制とは似ても似つかない別物だった。すなわち明治維新は、官僚中心主義とも言うべき中央集権国家体制だという点に特徴がある。それは中世ヨーロッパ以来のカトリックの系譜に属する。

そのため明治政府では、徳川幕藩体制下における士農工商、すなわち公家を身分の蚊帳の外に置く体制を維持しながら、庶民層からの登竜門としての官僚制を築くところに、統治の根幹があった。その点で、公家支配を旨とする旧貴族社会に比べれば、庶民化というか、部分的に民主化したといえる。つまり名も無き庶民として生まれたとしても、官僚試験に合格するなど、一定の条件が整えば、社会の上層に上がることが出来る。それだけではなく天皇を御旗にして、国の実質的支配権をも手にすることができる。

こういう体制に真っ向から立ち向かったのが、西欧におけるプロテスタント、言い換えれば宗教改革なのである。宗教改革は、主に北方のゲルマン文化圏の人たちが、「商人こそ第一」との名目の下、官僚支配に対抗した。つまりオランダやイギリスなどのプロテスタント勢力は、庶民階層が上昇する登竜門として、事業の成功を用意したのである。そこではビジネスマンが尊敬される。

以上のように、カトリックは晴耕雨読又は清貧に基づく修道士もしくは官僚、ようするに精神性を階層の上位に置くのに対し、プロテスタント、言い換えればゲルマン式キリスト教は商人や生産者、要するに物質性を階層の上位に置くなど、相互に対照的な思想を持つ。カトリックによるカウンター・リフォメーション(反宗教改革)の延長線上に、明治維新はある。

大阪維新の会は維新という文字を用いているから、きっと中央集権体制維持を志向しているのだろう。しかしその際は、地方分権と相反するだけではなく、ビジネスマン中心主義とも乖離することを、予め理解する必要がある。

【格言】 「維新」という言葉を用いた瞬間から、物質主義を捨て、精神主義へと傾注することを意味する。

【結論】 維新体制では、たとえ貧しくても学術に優れたものが尊敬される。その逆にプロテスタントでは、たとえ学問は無くとも、事業家として成功すれば尊敬される。

2012年5月17日木曜日

"警防団"と雇用対策

日本から「完全雇用」という言葉が用いられなくなって久しい。今後しばらくは、如何にして雇用を増進させるかが課題となる。

「御用」と書かれた提灯や長い棒を持って犯人を追いかける大勢の人たちを、時代劇でよく見かける。あの人達は必要な時だけ動員される臨時雇いである。これとよく似た雇い方が現在でもある。それは消防団だ。消防団は普段はそれぞれ本職を持ちつつも、いざというときは災害現場に駆けつけ、人命救助などに当たる。ただし火災などの消防団が活躍する場面は、出動に際し支給される貨幣を収入源とみなすには余りにも少ない。したがって雇用対策として消防団を定義する場合は、もう少し活躍の場面を増やす必要がある。

そこで考えられるのが、現在は機動隊が担っている役割を、一般市民の臨時雇いで賄う方法である。すなわち消防団員を増員するなどして、凶悪犯を追い詰める場合にも活躍してもらうのだ。そうすることにより、例えば定職が無くぶらぶらしている者たちへの雇用対策になる。しかも警察官の常備を減らすことができるから、財政健全化や減税にも資する。これらの臨時雇いを仮に「警防団」と名付けることも可能だろう。

【格言】 「御用」で雇用を。

2012年5月14日月曜日

不動産業と結婚紹介業

今建設業者や不動産業者が苦境にあえいでいる。その大きな原因として、新築一戸建て住宅がなかなか建たないということがある。不動産屋の中には、それを不況に基づく建築資金の不足のせいにする人もいる。つまり住宅ローンを組める条件を満たす人が少ないからだと言うわけだ。

しかし仮に資金があるとしても、新築一戸建の需要へと結びつくとは限らない。なぜかというと、例えば独身で結婚の見通しがない者は、決して一戸建てを建てようとは思わないからだ。つまり独身者にとって新築一戸建は、お金の無駄遣い以外の何物でもない。

要するに、資金以外に家庭を持つという条件が加わらなければ、新築一戸建の需要には結びつかないのである。この点で、不動産の取り扱い件数を増やそうと思えば、独身者が結婚相手を見つけられるように手助けすることが肝要となる。

そういう意味で、不動産業や建設業が婚姻率の上昇に向け、結婚紹介業に進出する積極的意味がある。そうすることにより、うまくゆけば「この結婚紹介業で相手を見つけたのだから、その関連企業で家を建てよう」という顧客が現れることも期待できる。