2011年8月17日水曜日

年金保険法と憲法違反(再掲)

日本国憲法第十三条は、「(前略)生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定めている。そして生命追求のなかには、「自分は何歳くらいまで生きるつもりだ」という人生設計も含まれると、通常は解釈される。
そういう中では、「六十五歳までもし生きたならば、その人には年金を支給する」との主旨の年金保険制度は、憲法違反である可能性が高い。なぜならその六十五歳までに保険料を徴収しているからである。

それまでの人生でせっかく保険料を納付したとしても、給付年齢の六十五歳までの寿命を国が保障していない以上、納付と給付の関係で損益がどうなるかは「運任せ」となる。
しかもこの世には持病を持つなどで、「私は六十五歳まで生きられそうにない」と感じている国民も少なくないはずだ。そういう人を含め、保険料だけは事前に強制徴収される。

わかりやすい話、年金の支給開始年齢を満八十歳と規定したら、「その年まで生きられそうにないから、保険料を収めるのが馬鹿らしい」と感じる人が増えるに違いない。こうしてみると、年齢によって法を規定することが如何に不平等かがよく分かる。現行の「満六十五歳から年金を支給する」という65という数値は、お役所の立場で果たして何歳にすれば、国民をごまかして、保険料を事前に支払わせることができるかや、どうやったら給付額は最少化出来るかの結節点として決まったと考えて良い。

いくら日本国憲法第十三条が「公共の福祉に反しない限り」との条件を付しているとしても、人生設計という個人の幸福追求権を超えてまで、保険料を事前に強制徴収することは各国民の持つ思想の上の理由だけではなく、損をさせる危険性がある点からも赦されないと言わなければならない。

2011年8月9日火曜日

遺伝子組み換え食品と世界経済

最近受けた講義によると、植物生理学の分野では遺伝子組換え食品の流通を促進している気配が感じられる。そして遺伝子組換え食品の栽培は、特に発展途上国で積極的らしい。

その要因としては、発展途上国は農作物の輸出が稼ぎの大半を占めるという実情がある。つまり遺伝子組み換えにより、農作物の生産性が飛躍的に向上する結果、単位面積当たりの農作物が増え、ひいては発展途上諸国の経済を潤すというのである。

石油などの天然資源とは異なり、人間は栽培を発明することにより農業を発展させてきた。そして過去の政争は食糧の奪い合いが大きな原因であり続けた。そういった事態をみれば、農産物の生産性向上は、戦争や政争を防止する上でも役立つと言える。

リスク管理の実際は、決してリスクをゼロ化することではなく、リスクなどの不利益点と利益点とを比較衡量するすることにあると仮定すれば、遺伝子組換え食品を利用することにより減ると予想される政争と、遺伝子組換え食品による健康被害とを比較して、もし前者の利点が大きいならば、第二農業革命としての遺伝子組換えの研究は、促進されるべきだと言えるだろう。

2011年7月7日木曜日

"自画自賛"は否定的な熟語

いま海水浴の時期を迎え、東日本の各地で水質検査など、放射能の濃度について公表している。しかしそれは各地元に任されているので、信用性が低い。

「自画自賛」とは、良くない意味で用いられる熟語だ。つまり自分で自分を褒めることを揶揄する意味を持つ。国民から見て、地元の自治体等が地元の海水浴は安全だと言われても、自画自賛として信用性が無い。

これを例えば他府県の自治体に水質検査させれば、一定の信頼が得られる可能性がある。つまりA県の海水浴場について、B県に調査を依頼する。

シンポジウムなどを含め、日本人は対立を嫌う。しかし反論や対立を避けてばかりいては、真の姿が浮き彫りにならないという弱点を知る必要がある。自分で自分を褒める行為に比べれば、敵対者が褒める広告的効果は計り知れないほど大きい。

2011年5月29日日曜日

菅内閣と大災難

菅総理は、「このまま総理として政務を取り続けることが、政治責任の果たし方だ」との趣旨を述べることにより、菅内閣が永続するほど、国民の福利もまた永続するかのごとく述べた。

しかし任期中に起きた東日本大震災や、原発事故を見てもわかるとおり、国民の大多数から「疫病神」と思われている。菅総理としては、今後同様の震災が一体何回続けば、国民の福利と自分の内閣とが反比例の関係にあることが分かるのかが見ものだ。

あの図太い中国共産党の指導者でさえ、リーダーの任期中に未曽有の震災が発生すれば、「革命」が起きたとして引責辞任する。

2011年5月20日金曜日

時代の趨勢と登記簿

会社などの法人登記を見れば、時代の趨勢が分かる。つまり会社の目的欄について、その変更や追加の項目を探れば、いま何が儲かりそうで、そして何に対する投資が進みつつあるのかがわかる。

そしてその内容は、同時に「いま何についての職場が増えようとしているのか」についての重要な参考資料だといえる。

会社などの商業登記は元々公開されている。だから各会社の目下の目的欄について、これを全て一覧できるようにすれば、今後何に対し投資が集まるのかが分かる。それは結局、働くための資格などで、何が求められているのかの良い指標ともなる。

ようするに会社の登記簿の目的欄について、これをインターネットなどで検索できるようにすれば、例えば「建設」の文字が増えたのかそれとも減ったのかなど、その用語の多寡によって時代が判別できると言うことだ。

2011年5月16日月曜日

自民党の反省材料

自由民主党はこれまで製薬会社との関係を深めることにより、製薬業界から大きく得票してきた。そこではもちろん、製薬会社の利益を増進させるという政策が実行されてきた。そのため製薬各社の役員の各年収は億単位に上ることも珍しくないらしい。
しかしその半面で、いわゆるゼネリック医薬品採用に対する消極姿勢又は反対姿勢など、旧来の製薬会社の独占や寡占を許す余り、国民に高い薬を買わせ続けてきたという不都合がある。その結果、薬代が国民の医療費負担の大きな部分を占めるに至った。このまま行けば、老人医療費に足を引っ張られる形で、医療費の公的負担がパンク(破綻)することが想定されている。これまで医療機器メーカーや製薬会社に儲けさせ、そして笑わせてきた付けが、近い将来回されようとしている。

今後は規制緩和を通じて、新旧製薬会社間の競争を促進させなければ、国民はますます高い医薬品の支払いに困惑することになるのは明らかだろう。挙句の果てには、低所得者層を始めに、命に関わる治療が受けにくくなる危険性がでてくる。
一部の元首相、すなわち元総裁を除き、医療費を含む社会保障費の抑制策について無策だった点が自民党の反省材料の一つだと言わなければならない。

"最高賃金法"制定案(再掲)

いま最低賃金法という法律があり、要するに都道府県ごとに一定水準以下の賃金で人を雇ってはならないことが規定されている。一見すると、最低賃金は高いほどよいと思われがちだ。しかし一人当たりの労賃単価を高くすると、職種によっては雇う人数を減らさざるを得ない場合がある。結局は失業者、すなわち無賃者を増やす危険性がある。

そこで最低賃金法を廃止して、むしろ逆に最高賃金法を制定すると良い。すなわち雇用契約によって働く労働者については、賃金に上限を設ける。そうすることにより、如何に優秀な労働者であるとしても、雇用契約である場合は、不当に高い賃金を支払うことを、抑制させることができる。
その結果、その支払われない賃金は余剰資金となるから、その浮いた分を他の労働者を雇う可能性が出てくる。これは労賃を通じての独占禁止的効果を狙ったものだ。要するに収入の格差解消や平準化、もしくは雇用機会の増加に資することは言うまでも無い。

企業は本来、自主規制により自らが「腹八分」を実践すべきで、利益や人材の独占は、自らがこれを放棄しなければならない。そうすることにより、公からの規制、言い換えるなら法規制が不要となるから、税などの国民の公的負担は抑制又は減少するのである。
逆に言えば、人材の増幅と一極集中は公的負担率を高め、そしてこれまで国民に損をさせていた側面があることを指摘しなければならない。

ある人が優秀で、もし例えば数億円もの年収を得たければ、それは報酬によって得れば済むことだ。少なくとも雇用契約の労賃の場合は、最低水準を定めるよりもむしろ最高水準を設けるほうが、競争を促進する上での実際上の効果が大きいと言うべきだろう。

結婚紹介所公設案

いま職業紹介についてはハローワークが公設されている。これは国民各自の収入に関する事柄であり、いわば貨幣から経済生活を支える側面がある。
他方で、人間は精神生活についてもこれを軽視することができない。そういう意味で、結婚についても、何らかの形で公が関与することが求められている。
いま日本では、収入はあるのに、結婚相手との出会いに恵まれない者が少なくない。それで婚姻率の低下や晩婚化の現象が見られる結果、少子化が問題視されている。
もちろんこれには、年金など、親の収入に頼ることの出来る世代の増加という、ある意味恵まれた人たちの存在に拠ることも指摘できる。しかし巷で噂の「出会い系サイト」の隆盛をみても分かるとおり、結婚相手を探しているのに見つからないという人たちが増えたのも事実だろう。

これらに対し、公的には目下放置状態にある。
この事態を改め、公共職業紹介所内に結婚紹介コーナーを併設すると良い。そうすれば、職業を探す振りをして結婚相手を探したり、あるいは結婚相手を探す振りをして実は職業紹介を受けるなど、利用者の一元化を実現させることができる。定職に付くことと所帯を持つこととは、相互に深い関係にあるからだ。

職業紹介などの、いわば「お金さえあれば、人は幸せだ」というのは、物事の一面しか捉えていないと言わざるを得ない。夫婦には相互に精神的に支えあうという大切な点がある。そうしてこそ、逆に言えば職業に対する意欲も増す。
以上を総合すると、結婚は決して一部の国民の趣味的あるいは特殊な事情とは言えず、職務に対する意欲と関わる以上、その促進は全国民的な課題だと言える。それで 日本国憲法の条文にも「婚姻」の文字がある。

ハローワークなどの施設内における結婚相手募集欄で、相手に対する希望や、応募期限などの各種条件を見ることがもし出来れば、独身者にとって大きな楽しみとなる。

2011年5月12日木曜日

学習塾と国語

学習塾など、受験産業成否の鍵は、ズハリ国語にある。
生徒諸氏の学習は大まかに文科系と理科系に分かれる。文科系の主要科目は国語と社会で、理科系のそれは数学と理科だ。英語などの外国語科目は文科系と理科系で共通して求められる。
私立大学の場合、受験生が減るのを恐れる余り、受験科目はできるだけ絞ろうとする傾向があるから、この際除外して考える。そこで公立大学の受験科目が問題となる。なぜなら受験科目として文科系であっても例えば数学を課すとか、あるいは理科系であっても例えば国語を課すなどの例もあるからだ。
このうち文科系を目指す学生が数学の成績を伸ばすのは、そんなに難しいことではない。なぜなら、文科系の受験科目にふさわしい形で、数学はやさしい問題が想定されているからである。だから最初は得点が難しかった生徒でも、努力により成績を飛躍的に向上させるのは決して不可能ではない。
しかし理科系を目指す学生は事情が異なる。理科や数学で高度な水準を保つためには、時間が必要だ。そのため通常の生徒は、国語を学ぶ余力が無いというのが実情がある。しかも国語の場合、古典を含むなど、数学の場合のような易しい問題は出しにくい性質がある。

こうした事情から、文科系の学生が数学を受験するのに比べ、理科系の学生が国語を受験する場合は、受験生各自の得点の差が開く傾向にある。つまりいわゆる難関校の受験など、学習を高度化させようとすればするほど、数学や理科では得点の差が生まれにくい分、国語の出来不出来が入試の勝敗を分けることとなる。

学習塾の経営で、文科系及び理科系両方の学生を集めるに越したことは無い。そして特に理科系の受験生を多く集めるためには、国語の成績が伸びることが差別化の要となる。
その点、旧来は国語の教育は必ずしも十分だとはいえない。そもそも日本語の研究自体が、欧米における自国語研究に比べその水準は著しく低いのが現状である。だからこそその教授法も凡庸かつ限定的とならざるを得ない結果、数学のように後から急に成績が伸びるということが実現しにくいのである。

2011年5月11日水曜日

弱者と初心者

初心者は未知の事柄に対し極度に恐れるか、又は不審を持つ傾向がある。そして既知の事柄に対し極度に侮るか、又は信じすぎたりする。子供がその典型だ。
お年よりは人生経験があるから、決して初心者ではない。だから子供と比較しても、既知の事柄を侮る傾向は薄れる。
しかし未知の事柄に関心を失ったり、あるいはそれを容易に信じなかったりする点で、初心者的傾向は残る。
これらの幼児や老人をまとめて、「弱者」と定義することもできる。

その逆の「強者」は、初めての事柄や初めての人を、極度に恐れたり不審に思ったりしない。それは知識の豊富さに裏付けられた、自己の防衛力に対する信頼が根拠となっている。そういう精神的な余裕が、他方で既知の事柄や人を極度に蔑んだりしないという、敬愛の態度をもたらす。