2011年4月16日土曜日

マイケル・サンデル(教授)出演

米国大学教授のサンデル氏がTV出演して色々な議論をしている。この人の議論のキー・ワードは常に「市場原理主義」である。これはカトリック主義か、それともプロテスタントかということだ。


カトリックは中世の修道院が出発点となっており、「晴耕雨読」の聖職者中心主義だった。ようするに商人などのビジネスマンよりも、清貧を旨とする学術者を上位におく考え方だ。インドも似たような社会である。


ところが商人中心のイスラームやプロテスタントは、金融を容認する程度に違いがありつつも、学術よりも実務のほうに重きを置いた。そして利益の独占を目論む各商人を、どうやって弱者に対する配慮、すなわち道徳的であらせ続けるかが、資本主義、つまり金融中心主義の課題とされた。 銀行などの間接的投資家や、株主などの直接的投資家が果たして道徳的な経営者を育てることができるかが、資本主義の壮大な実験の成否の鍵を握る。このためカトリックは総じて工業化には反意的だ。


ただし人間の利便性や快適性に対する希求は、カトリック勢力の想像をはるかに超えて強い。そういう前提に立てば、資本主義を貫徹させるための完全競争原理を確立するしか、最大の幸福を人々に与えることはできないことは、すでに答えは出ている。その証拠に、決して飢えるわけでもないのに、人間は豊かな大地を巡って壮絶な殺し合いを繰り広げてきた。つまり豊かさのためには命をもかけた。その他に自由や信念、貞節などを守るため「死んだほうがましだ」ということで、命を落とす者は意外に多い。つまり身を投げたり、命の危険を冒して戦う。たとえどれほど多くの犠牲者が出ようとも、一度手にした自動車、航空機や刃物及び拳銃は二度と廃棄しようとはしない。核分裂が有効な発熱源又は動力源であると知るや、たとえどれほど危険でも、二度と放射線物質を捨てようとはしないだろう。


人間の経緯は、「ただ生きてさえいればそれでよい」という動物的感覚から離反する歴史だった。それを文化化と呼ぶべきかどうかはともかく、「命よりも重い価値を、無限に増やしてゆく」過程であることは間違いない。 そういう、「命よりも重い価値」のうちにもし物質が含まれているとすれば、市場原理主義と道徳との宥和は、決して不可能ではない。