【原爆投下から70年】
書籍によると、ヤルタ会議当時、すでに東西冷戦は始まっていたらしい。そこでは旧ソ連が日本に対する敗戦処理を巡り、北海道の北半分をくれと主張したそうだ。ドイツとの戦闘の見通しが立った旧ソ連としては、目が極東に向いたわけだ。
その時米国はこれを阻止するため、核兵器の開発を急いだ。それで会談と前後して、原爆完成、との報を受けた米国大統領トルーマンは旧ソ連に対し強気に出たらしい。つまり北海道領有の主張に「ノー」と言って拒否した。
もちろん旧ソ連も核兵器開発を急いでいた。ただし、その後の東西冷戦と異なり、米ソ相互に核兵器を使用するという直接対決の目的を持たなかった。これが重要な点だ。
種類の異なる二発もの原子爆弾を投下した米国は、人体実験の要素も併せ持っていた。慌てた旧ソ連は長崎原爆投下から三日後、日ソ不可侵条約を無断で破棄し、旧満州等、日本が統治する領地へ侵入し、終戦後の権益確保にむけ実績作りを急いだ。しかし原爆開発自体は米国に後れを取ったので、弱気となった分、北海道の北半分領有という夢は叶わずじまいとなった。
【結論】
ヤルタ会議当時、米ソが核兵器開発を競ったのは日本やドイツが標的だった。しかし同時に共産主義と自由主義との対立が表面化していたから、米国としては日本の共産主義化を防ぐ狙いがあった。それで旧ソ連に対し、自由主義国の軍事的優位を誇示するとともに、日本に早く降伏して欲しかった。
もし日本の降伏が遅れていたら、旧ソ連が北海道等に侵入するのを指をくわえて見ているほかなかった。なぜなら米国には三発目の原爆はもうなかったからだ。連合国の仕組み上、米ソの直接戦闘はあり得なかった。