2011年4月21日木曜日

片山虎之助氏



参議院議員で政党「たちあがれ日本」参議院幹事長の片山虎之助氏が、呉市議会議員選挙の関係で広島県呉市にやってきた。

2011年4月19日火曜日

石原東京都知事の経済構想

石原東京都知事は、以前カジノ構想といって東京都内にカジノを建設することにより外国人を誘致するなど、経済発展を目指していた。しかし昨今では電力の節約が大切だということで、飲料水などの自動販売機についてこれを好ましくないとの考え方を明らかにしている。一般的に言えばネオンサインや賭博の機器などにより、カジノは大量の電力を消費する。これはパチンコ屋と同じだ。ようするに石原知事は、「経済発展のためには、電力の大量消費は気にしなくても良い」との基本的考え方を持っていたことになる。 それなのに今回は、カジノどころか、自動販売機やパチンコ屋までもが好ましくない物の代表例として挙げられている。これを推察すると、石原都政は、「経済発展のためには電力の消費に注意しなくても良い」との考えから、「電力の消費に注意するためには、経済発展の優先度は低い」との考え方に変えた可能性がある。もしそうなら、かつてカジノ構想を打ち立てたときと、考え方が変わったのかどうかについて、公式の場で一言説明が必要だろう。

2011年4月18日月曜日

2011年4月16日土曜日

マイケル・サンデル(教授)出演

米国大学教授のサンデル氏がTV出演して色々な議論をしている。この人の議論のキー・ワードは常に「市場原理主義」である。これはカトリック主義か、それともプロテスタントかということだ。


カトリックは中世の修道院が出発点となっており、「晴耕雨読」の聖職者中心主義だった。ようするに商人などのビジネスマンよりも、清貧を旨とする学術者を上位におく考え方だ。インドも似たような社会である。


ところが商人中心のイスラームやプロテスタントは、金融を容認する程度に違いがありつつも、学術よりも実務のほうに重きを置いた。そして利益の独占を目論む各商人を、どうやって弱者に対する配慮、すなわち道徳的であらせ続けるかが、資本主義、つまり金融中心主義の課題とされた。 銀行などの間接的投資家や、株主などの直接的投資家が果たして道徳的な経営者を育てることができるかが、資本主義の壮大な実験の成否の鍵を握る。このためカトリックは総じて工業化には反意的だ。


ただし人間の利便性や快適性に対する希求は、カトリック勢力の想像をはるかに超えて強い。そういう前提に立てば、資本主義を貫徹させるための完全競争原理を確立するしか、最大の幸福を人々に与えることはできないことは、すでに答えは出ている。その証拠に、決して飢えるわけでもないのに、人間は豊かな大地を巡って壮絶な殺し合いを繰り広げてきた。つまり豊かさのためには命をもかけた。その他に自由や信念、貞節などを守るため「死んだほうがましだ」ということで、命を落とす者は意外に多い。つまり身を投げたり、命の危険を冒して戦う。たとえどれほど多くの犠牲者が出ようとも、一度手にした自動車、航空機や刃物及び拳銃は二度と廃棄しようとはしない。核分裂が有効な発熱源又は動力源であると知るや、たとえどれほど危険でも、二度と放射線物質を捨てようとはしないだろう。


人間の経緯は、「ただ生きてさえいればそれでよい」という動物的感覚から離反する歴史だった。それを文化化と呼ぶべきかどうかはともかく、「命よりも重い価値を、無限に増やしてゆく」過程であることは間違いない。 そういう、「命よりも重い価値」のうちにもし物質が含まれているとすれば、市場原理主義と道徳との宥和は、決して不可能ではない。

都知事選候補者渡辺美樹氏

今年度の東京都知事選に、居酒屋チェーン創業者の渡辺美樹氏が立候補した。彼は言うまでも無くビジネスマンであり、商人の一種だ。それで「東京を経営する」との政治方針を打ち出した。


しかし商人の原理と政治の原理は、対照的ともいえるほど異なる。渡辺氏はサービス業を成功させたから、「自分には人気がある」と感じたのかも知れない。しかし商人は本来的に利益の独占を目論む存在だから、原理的に人気があるなどといったことは無い。それを渡辺氏だけではなく各商人は心得なければならない。商人にはそういう原罪とも言うべき性質があるからこそ、ご愛顧いただくという精神が忘れられてはならないだけではなく、義務感として還元を忘れてはならない。


他方で政治家は敬愛されるべき存在だ。なぜなら集積された税と公務員の頭脳を、如何にして弱く貧しい人たちのために活用するかが、普通選挙、すなわち一人一票の参政権が与えられる中での責務となるからである。そういう職責を忘れるものは、当然ながら次期選挙で落選する。選挙権が頭数によって与えられる民主主義では、貧しいものや弱い者の頭数が多い関係で、政治家は貧しい者や弱い者のことを配慮しなくては当選しない仕組みがある。


このように、政治家と商人は原理的に相容れないことが分かる。繁盛した商店主が「俺は人気がある」と断定するのは実は虚構に過ぎない。顧客を欺き、取引先を欺き、労働者を欺き、出資者を欺いた結果として経営者の手元に貨幣が残るというのが、商取引の実態に他ならない。その証拠に、相手に原価を告げて取引する商人が利益を出したためしがない。


むかし江戸時代を背景とした「ネズミ小僧」という劇作があった。その主人公のネズミ小僧は常に大商人からその有り余る貨幣を盗んでは、貧しい人々に分け与えた。それで人々から英雄視された。これを言わば合法的に行うのが政治なのである。


商人は"半騙し"が上手いからこそ成功する。それを決して「敬服されている証拠だ」などと間違っても思ってはならない。

2011年4月3日日曜日

原子力発電所と人工島

日本の土木水準によれば、原子力発電所を設置するだけの広さを持つ人工島を建設することは不可能ではない。 今回の東日本大震災で、放射能漏れが危惧されている。しかしもし原発を例えば十キロメートル沖の人工島に設置すれば、仮に放射能が漏れたとしても近隣住民に対する被害は、より少なくて済む。 大事故の場合は、例えば「ピン一本抜くだけ」で島が沈むような仕組みにしておけば、事後の処理も慌てなくても済む。一般に人工島は津波などの大波に弱いと思われがちだ。しかし最初から津波を想定し、波に反しないような浮き構造にしておけば、陸上に設置するよりもよりもむしろ安定的だということも、決して不可能ではないだろう。 もし「少しだけ沈む」という仕組みができるならば、緊急の冷却が必要なときに原子炉内に海水が流れ込む程度まで沈めることも、技術的には可能だろう。

被災支援とコンビニ弁当

今回の東日本大震災では、コンビニの弁当が売り切れとなったと想像できる。ただし午後のコンビニでは賞味期限切れとなったお弁当を次々に捨てる光景を目にする。これは食品衛生法など、食品の安全性を最大限に考慮した、コンビニエンス・ストアの利点である。 しかし他方で、この法律厳守の姿勢は、大震災で食糧難に苦しむ被災者にとっては仇となる。なぜなら、食料が足りない人がいる一方で、賞味期限切れとなったお弁当などが次々に捨てられるという矛盾が生じるからだ。賞味期限切れのお弁当は、実際にはまだ充分に食べられる。 そこで震災の際には特例として、食品衛生法などの適用を緩和し、一日か二日賞味期限を過ぎた程度の食品については、これを無償で被災者に渡しても良いと運用する必要がある。そうすることで、「たまには違う食べ物が食べたい」との被災者の要求に応えることができる。

2011年4月2日土曜日

民主党の矛盾

民主党はこのたびの「東日本大震災」の復興又は復旧に際し、財源が足りない可能性があるとして、増税をにおわせた。しかし民主党は自民党との政権交代を目指しているときは、あたかも財源は豊富にあるか、または充分に捻出できる旨の発言を繰り返していた。つまり当時の政権党である自民党に対し「本当はあるはずのおカネを隠している」との主張をしていた。それなのに今回の大震災に向けては一転「おカネは無い」との方向転換をした。お金が無いのなら無いという結論でもかまわないが、野党時代に自民党を攻撃していた内容、すなわち「おカネはあるはずだ」との主張は撤回すると同時に、その見当違いを有権者に謝罪しなければ、区切りは付かないだろう。 このままでは、民主党は「なし崩し党」または「ズルズル党」と改称せよと言わざるを得ない。

2011年3月11日金曜日

東北地方の大地震と民主党政権

今日発生した東北地方の大地震は、大きな津波をもたらすと共に、多数の犠牲者を生んだ。このような災いが多発するときは、古今東西、政治の責任だと判定されることが多い。
今回の大災害も、民主党政権が行っているような、貴族趣味的な権力闘争に対し、神が天罰を下したと見れなくも無い。

菅内閣は「私たちは何も悪いことはしていない」と考えているのだろう。それはその通りなのかも知れない。しかし人間には「ツキの無い男」など、運の要素も軽視することができない。かつて卑弥呼などの女王が誕生したときも地震などの天変地異が多発したことが想定されている。つまり男性による統治時代に不幸な災いが多発してので、女性に政治を任せたことが想像される。

このように、人間の運の強さや弱さ又は運の悪さなどの要素を加味して考えるとき、たとえ為政者が悪事を働いていないとしても、国民に災いをもたらす、自身の運の悪さによって政権を他に移譲するのも、賢明な政治家のあり方だと言えるだろう。