現在内需拡大と言って、各家庭に貯蔵されている貨幣をどうやって”吐き出させる”かが課題となっている。その点従来は所得税中心の税制だったが、今後は消費税中心に変える必要がある。なぜなら、所得税は申告によって納税されるのが原則となっているところ、周知のごとく正直に申告する者ばかりではないので、どうしても申告漏れなどが生じる。そしてそれは多額にのぼる。そういう所謂捕捉率の低さの意味で、所得税による徴税は内需拡大又は所得の再配分の点で非常に効率が悪い。要するにその中ではお金持ちほど得をする余地が残される。
その点消費税は公平だと言える。お金持ちと言えども、最後は物やサービスにお金を使う。だからお金がある者ほど多額の消費税を支払う羽目になる。そうして得た税を、政策により貧困層に回せば所得の再配分を達成することが出来る。今後消費税率を上げる見返りとして所得税率を若干下げれば、その分可処分所得が増えるから、お金持ちも消費し易くなるだろう。
2009年12月4日金曜日
介護と奴隷
現在の政府は、特に地方での労働環境を改善するため労働者を工場から介護の現場へと移転させることを目ろんでいる。しかしフィリッピンやインドネシアから介護要員を招いていることから想像できるように、現在の介護の職は奴隷に近い実態を有している。今後人権意識がますます高まる中、仮に二百年後の人たちに語らせるとしたら、現在行われている労働の輸入はこれを奴隷売買と呼ぶに違いない。古代ギリシャの家内奴隷や、或いは近代における西アフリカからの奴隷等も、有力な産業の無い地域に、出稼ぎのような形で奴隷を売る人たちがいて成り立っていた。それで西アフリカに金銭がもたらされた。
ただしそういう事態を避けるためには、介護の団体などが率先して、介護職の専門性を高める必要がある。要するに手足の側面だけではなく知識も要求されるような差別化を図る必要がある。
結局、ある意味で誰もが”誰にも真似出来ない仕事”を目指さなければ社会全体は発展しないばかりか、逆に愚民が増えるだけとなる点に注意しなければならない。
ただしそういう事態を避けるためには、介護の団体などが率先して、介護職の専門性を高める必要がある。要するに手足の側面だけではなく知識も要求されるような差別化を図る必要がある。
結局、ある意味で誰もが”誰にも真似出来ない仕事”を目指さなければ社会全体は発展しないばかりか、逆に愚民が増えるだけとなる点に注意しなければならない。
2009年12月2日水曜日
追悼平山郁夫氏
報道によると、画家の平山郁夫(平山郁夫)さんが今日亡くなられたらしい。私の親戚には平山さんの知人もいるので、さぞや寂しく感じていらっしゃることだろう。
日中友好に対する貢献も著しい方だ。
ご冥福をお祈りします。
日中友好に対する貢献も著しい方だ。
ご冥福をお祈りします。
2009年12月1日火曜日
検察民営化論
一般の国民が刑事裁判に参加する裁判員制度が始まった。しかしその裁判員の中には被告人を非難することに力点を置く者も少なくない。これは刑事被告人は審理を終えるまでは無罪が推定されるという原則についての理解が不足していることと関係があるだろう。
こういう事態を防ぐためには、検察を民営化すると良い。
日本は有罪率、すなわち有罪認定される事件数の、起訴された事件数に対する割合が限りなく百パーセントに近い。これは検察が闇雲又は無鉄砲に起訴したりしないで、事件をよく吟味してから起訴した結果に他ならない。要するにそこにはやたらと起訴をして、被告人が無駄に勾留されるのを防ぐという、検察の配慮が働いている。その意味で日本の検察は優秀だと言える。
しかしそうだからこそ、刑事法廷での審理は形式的又は儀式的なものに過ぎなくなっている。たとえ被告が起訴事実を否認したとしても、裁判官の内心で”検察が起訴したのだから、やったに違いない”と思わせるなどの不都合が生じる。そういう不都合の延長線上に上記のような裁判員による被告人への非難がある。そして挙げ句の果ては法廷が審理の場所から、被告人に反省を促すなどの説教の場と化している。
仮に検察を民営化して、全犯罪に対する起訴の率が例え変わらないとしても、相手が民営組織だと言うことになれば、裁判員を含めた裁判所は、どうしてもその民営化された検察を従来よりも疑ってかかるようになる。しかしそれこそが刑事裁判の本来あるべき姿なのだ。なぜなら刑事裁判は検察の提示した証拠が、犯罪事実を証明できるのかや、証明できるとして、証拠の集め方が法律、すなわち刑事訴訟法に則っているかを審理する正にその場所だからである。
岡本英三(冈本英三)
Okamoto Eizo
こういう事態を防ぐためには、検察を民営化すると良い。
日本は有罪率、すなわち有罪認定される事件数の、起訴された事件数に対する割合が限りなく百パーセントに近い。これは検察が闇雲又は無鉄砲に起訴したりしないで、事件をよく吟味してから起訴した結果に他ならない。要するにそこにはやたらと起訴をして、被告人が無駄に勾留されるのを防ぐという、検察の配慮が働いている。その意味で日本の検察は優秀だと言える。
しかしそうだからこそ、刑事法廷での審理は形式的又は儀式的なものに過ぎなくなっている。たとえ被告が起訴事実を否認したとしても、裁判官の内心で”検察が起訴したのだから、やったに違いない”と思わせるなどの不都合が生じる。そういう不都合の延長線上に上記のような裁判員による被告人への非難がある。そして挙げ句の果ては法廷が審理の場所から、被告人に反省を促すなどの説教の場と化している。
仮に検察を民営化して、全犯罪に対する起訴の率が例え変わらないとしても、相手が民営組織だと言うことになれば、裁判員を含めた裁判所は、どうしてもその民営化された検察を従来よりも疑ってかかるようになる。しかしそれこそが刑事裁判の本来あるべき姿なのだ。なぜなら刑事裁判は検察の提示した証拠が、犯罪事実を証明できるのかや、証明できるとして、証拠の集め方が法律、すなわち刑事訴訟法に則っているかを審理する正にその場所だからである。
岡本英三(冈本英三)
Okamoto Eizo
2009年11月30日月曜日
古今和歌集とカルタ
現在カルタ取りは百人一首を元に行われている。百人一首は上の句が共通する物が多く、途中まで聞かなければカルタを取りに行けない点が、競技の妙味となっている。
しかしもしそういう点にこだわらなければ、古今和歌集を元に百枚ぐらい並べて競技するのも面白い。古今和歌集の一部が百人一首の歌に含められている。新古今和歌集でも事情が異ならない点は言うまでもない。
その他庶民性という点で万葉集を元にカルタを作っても良い。
古今和歌集にある千首程度をそらんじる人がたくさんいても決して不思議ではない。
しかしもしそういう点にこだわらなければ、古今和歌集を元に百枚ぐらい並べて競技するのも面白い。古今和歌集の一部が百人一首の歌に含められている。新古今和歌集でも事情が異ならない点は言うまでもない。
その他庶民性という点で万葉集を元にカルタを作っても良い。
古今和歌集にある千首程度をそらんじる人がたくさんいても決して不思議ではない。
2009年11月26日木曜日
2009年11月22日日曜日
実名投稿とインターネット
インターネットへの投稿や掲載は実名でなされるべきか、それとも匿名が良いかの議論がある。その鍵は行政がインターネット上で知り得た氏名を、公訴など行政処分等に利用しても良いのかどうかにかかっている。
民間人同士の場合、日本国民は行政の配下としてのマスコミによって「良民はこうあるべき」との指令が大なり小なり頭脳に刷り込まれているから、「あいつは変な奴だ」と罵ったところで、それは必ずしも客観性が担保されているとは言えない。
そもそも氏名は徴税を目的とした戸籍の管理のためにある。江戸時代を見ても分かるとおり、本来人間は名前について姓又は氏は必要無かった。他方民主主義下では、国民は常に行政を監視することを怠ってはならない。その点で言えば、世の中や個人を批判することは大切な公務だと言える。
例えば税金を滞納している国民も「税金が高すぎる」とか、又は「税金を廃止しろ」などと発言する権利はもちろんある。要するに実名で批判する時は税金の滞納という立場は思想性が高く、逆に言えばそれは不正義でも何でもない。
そういう場合にもし実名で投稿した人の氏名が行政手続きに利用され、そして処分されることが裁判で認められるとしたら、上記の「民間人同士の圧力」の点も含めて言えば、もはや日本国憲法の保障する表現又は発言の自由は蔑ろされたも同然だろう。
結局、インターネットからの情報のみで行政処分がなさたときは裁判で否定されるという社会の実態が無い限りは、批判等は匿名で行わざるを得ない事になる。
民間人同士の場合、日本国民は行政の配下としてのマスコミによって「良民はこうあるべき」との指令が大なり小なり頭脳に刷り込まれているから、「あいつは変な奴だ」と罵ったところで、それは必ずしも客観性が担保されているとは言えない。
そもそも氏名は徴税を目的とした戸籍の管理のためにある。江戸時代を見ても分かるとおり、本来人間は名前について姓又は氏は必要無かった。他方民主主義下では、国民は常に行政を監視することを怠ってはならない。その点で言えば、世の中や個人を批判することは大切な公務だと言える。
例えば税金を滞納している国民も「税金が高すぎる」とか、又は「税金を廃止しろ」などと発言する権利はもちろんある。要するに実名で批判する時は税金の滞納という立場は思想性が高く、逆に言えばそれは不正義でも何でもない。
そういう場合にもし実名で投稿した人の氏名が行政手続きに利用され、そして処分されることが裁判で認められるとしたら、上記の「民間人同士の圧力」の点も含めて言えば、もはや日本国憲法の保障する表現又は発言の自由は蔑ろされたも同然だろう。
結局、インターネットからの情報のみで行政処分がなさたときは裁判で否定されるという社会の実態が無い限りは、批判等は匿名で行わざるを得ない事になる。
2009年11月8日日曜日
太陽光発電
太陽光発電用のパネルは、例えば休耕田などの空き地を積極的に利用すると良い。パネルは各軒が一個ずつ屋根に設置するのが普通のやり方だろう。
しかし数軒ごとに資金を出し合って規模の大きなパネルを設置すれば電気利用の効率がよいし、土地の有効利用にもなる。そのときのパネルは必要に応じ移動できるようにしておくと、土地の有効活用という点でさらに効率が高まることは言うまでも無い。
しかし数軒ごとに資金を出し合って規模の大きなパネルを設置すれば電気利用の効率がよいし、土地の有効利用にもなる。そのときのパネルは必要に応じ移動できるようにしておくと、土地の有効活用という点でさらに効率が高まることは言うまでも無い。
2009年11月1日日曜日
登録:
投稿 (Atom)


