2012年6月3日日曜日

車の屋根と太陽光パネル

炎天下の交通渋滞では、もし燃料がなくなったらクーラーが使えなくなるから、社内は地獄の様相を呈する。車が動かないから、風も入らない。その際、仮にエンジンが止まっていたとしてもエアコンを動かすことが出来れば、長時間の渋滞にも耐え易くなる。

その点太陽光パネルは打って付けだ。なぜなら炎天下こそ、太陽光パネルは効率良く発電するからである。つまり太陽光パネルは、クーラーの強い味方だ。クーラー以外にも、車内で電気の使い道は多い。

親が車内に子供を置いたままパチンコなどに夢中になって子供を熱中症で死なせる事件も、エンジンを切ったままでエアコンが使える事態となれば、きっと減るだろう。

車の屋根に太陽光パネルを設置するときは、パネルを強化ガラスで覆う必要がある。そういうガラスが開発される日は、そう遠い未来ではないと予想する。

ハローワークとコンピューター

【時代の変革】 今日本は家電や自動車など大手製造業が軒並み苦境に立たされている。近代の産物としての家電や自動車に対する憧れの低下に伴って、消費者が価格に対し厳しくなり、逆に言えば「見えない出費」をしなくなったからだ。要するに良い意味でも悪い意味でも、自動車や家電は実用化した。

それに加え、慢性的な円高現象により、輸出にも依存できなくなった実態がある。そのため貯蓄が底をついた暁には、大手製造業が倒産する危険性に直面している。これは戦後以来の革命的な現象だ。

今後の日本は製造よりも文化の輸出とか、あるいは資本の輸出などで生計を立てなければならない。そのためには、かつてのような「工場自動化」から「事務自動化(オフィス・オートメイション)」へと人材を大幅に移動させなければならないだろう。その際はコンピュータを使う人材が圧倒的に足りない。

【ハローワークと人材】 旧来のような、新規学卒者の一括採用及び終身雇用が一般的だった時代には、端的に言ってハローワークなどの職業安定化業務は日陰の身だった。つまり終身雇用に漏れた者が利用する「特殊な場所」という印象は免れなかった。

しかし昨今では人を長い時間かけて教育する余裕を、各企業は失った。それよりもむしろ転職者などの即戦力を人材として希望するようになった。そいいう、過去の経験を重視する求人が増えれば増えるほど、ハローワークなどの職業安定業務の職責が増す。

以上のような状況を総合すると、職業訓練などにおけるコンピュータの指導が如何に重要かが分かる。つまり文化や資本の輸出には、理科系よりも文化系の人材こそ、コンピュータが必須となる。工場労働者も今後はパソコンを使いこなせなければならない。

いまハローワークでは、タッチパネル式の画面が用意されていて、求職者が求人を探索する仕組みになっている。その一部についてキーボード式のコンピュータを導入すれば、わざわざ別個に職業訓練などしなくても、自然にキーボードに親しむことができる。これは一石二鳥だ。人の集中力を引き出すのはもともと簡単ではない。コンピュータに馴染めない者にとっても、コンピュータの操作を習うことへの集中力を高めることは決して容易ではない。しかしたった一個だけ、人が集中力を発揮する場面がある。それが何かを探している時だ。

求職など、何かを探している瞬間はそれまでコンピュータに馴染めなかった人がキーボード操作に慣れる絶好の機会だと言える。

太陽光パネルと共同購入

今年は”節電の夏”ということで、暑い時期を電化製品なしでどうやって乗り切るかが話題となっている。それというのも原子力発電の危険性について批判が増えているからだ。そこで代替的な発電方法として太陽光パネル注目されている。

ただし今年になって急な需要に応えるためには、まだ大量生産体制が十分ではない。そのため、太陽光パネルが五十万円台とか、あるいは蓄電池が百数十万円など、価格も決して低くない。

そんな中早期に導入するためには、例えば五軒毎に共同購入するというやり方がある。五軒程度であればその内の一軒ぐらいは広い庭とか、あるいは遊休農地を持っている家があるだろう。そこに比較的大規模な太陽光パネルを設置すれば、一軒当たりの購入費用が安く済む結果、導入が早くなる。五軒程度であれば電線も短くて済むだろう。

こういう手法は原則的には太陽光パネルの販売者やメーカーが促進することだ。しかしそれを待っていられない場合は、例えば自治会や町内会単位で共同購入を持ちかけるのも良い方法だ。

かつては「戸」は三十人程度が一塊となって共同生活を営んでいた。戸長というのもいた。それとは別に「保」という共同体の単位があった。これは五軒ぐらいの単で共同責任を負った。このよにして、かつては山林の入会など、共用がよく利用された。このやり方を太陽光発電設備の導入に利用しない手はない。

2012年5月31日木曜日

生活保護の”不当受給”と貨幣の循環

【社会習慣の変化】

今ある芸能人が、高額の所得があるにも関わらず、その親族が生活保護を受給していることに対し援助せず、そればかりか手続き上は不備はなかったとして親族が生活保護を受け続けることが不当だけれども不正ではなかったと主張し、それが話題となっている。要するにこれは、「お金持ちなのに生活保護を受けている輩がいる」ことが課題となる。

この点旧来ならば隣近所の相互監視のもと、「生活保護を受ければ一時的にせよ得するけれども、しかし恥ずべきことだ」という見方が、生活保護制度を安易に利用したり、あるいは悪用することへのブレーキになっていた。しかし地域社会とか親族関係が希薄になるにつれ、隣近所や親族が相互扶助を行う習慣が無くなることに反比例する形で、”不当受給”"は増加したと言って良い。つまり旧来は地域社会や親類縁者からの一時的な支援すら受けられない者は例外的といえるほど少なかっったが、近年では誤った個人主義の運用が孤立を生んだ結果、勢い生活保護に殺到したというわけだ。いや正しくは殺到せざるを得なくなった。そうした習慣の変化により、親子であっても家計は相互に独立という考え方が支配的となった。それで例えば息子は高収入なのに、その親が生活保護を受けている事態が、ある意味正当化される不都合が起きる。

短期的に見て習慣の変化のきっかけとなったのはリーマン・ショック以降の金利制限と、融資を絞られることによる貨幣循環の停滞が挙げられる。

【社会保障と国家権力】

その原因は、皮肉なことだが社会保障の充実にある。社会保障の本質は「困った時は国民は全て国を頼れ」という点にある。だから「国中の貨幣はすべて国庫に入り、すべて国庫から出る」という貨幣循環となる。その際は一時的にせよ国家公務員組織が貨幣を手にする。貨幣を手にすることは権力を持ったも同然だ。

その結果各国民は国との繋がりは強くなった反面で、地域社会や親類縁者との付き合いを失ったっと断じて良い。つまり社会保障には国民の団結や相互扶助を分断する効果があるのである。戦前の日本では公務員組織は「お上(おかみ)」と呼ばれて畏敬されてきた。すなわち公務員組織は国民の上位に位置づけられた。日本国憲法のもとでは公務員組織は国民の下僕と位置づけられる。

しかしそれにもかかわらず国民は上、すなわち国ばかり見て横、すなわち近所や親族を見ない事態となっている。これではまるで、官僚が親鳥で国民はひな鳥みたいだ。

【解決策】

今回の事態について、短期的な解決法は種々ある。しかし官僚支配という根本問題を解決するためには、生活保護を含め、社会保障は段階的に縮小又は廃止するのが望ましい。つまり老後や病後の安心は徒歩圏内の地域社会や又は親類縁者が担うか、又は融通する社会へと「リセット」する必要がある。そうすることにより、「たとえ苦労してでも隣近所との付き合いや、子孫を産み育てることをしておかないと、いざというとき誰も助けてくれない」という世の中を作るのだ。そうすればみんな嫌でも子供を持とうとするから、少子化対策にもなる。

2012年5月24日木曜日

婚活と混浴

江戸時代の昔、日本では公衆浴場で混浴が実施されていた。この混浴は婚活に役立てる事ができる。なぜなら、未婚の男女が一緒に入浴すれば、それはコミュニケーションの場を提供することになるからだ。

その手法としては、混浴用の風呂場の建設に対し自治体が補助金を出す手法がある。なぜなら、現代の公衆浴場業者は「混浴風呂を作ってもお客は来ないだろう」と恐れ、建設を躊躇することが予想されるからだ。必要ならば公衆浴場法など、法改正を行うと良い。

現代の若者など、独身者は個人主義に慣れている反面、異性について相互に違和感や不信感を持つものが多い。そういうことが遠因となって、男女が結びつきにくくなっているのである。昨今の課題として未婚率の上昇が挙がられるのは、結婚する相手が見つかっているのに経済的理由で結婚が延期されているのが原因ではなく、そもそも「相手が見つからない」とか、「異性に出会うチャンスがない」ことが主要因となっている。そういう課題を解決するためには、いろいろな手段を講じなければならない。

その点従来の男女別々の風呂場に加え、銭湯などで混浴用の風呂場を増設すれば、男女の出会いの場が増える結果、婚姻率の上昇に役立つ。心理的に考えても、男女が同時に入浴するという、いわば間接的なスキンシップを望む潜在需要は決して小さくないに違いない。

【結論】 江戸時代の人にできることが現代人にできないはずは無い。

2012年5月22日火曜日

東京都知事と大阪市長

明治維新など、いわゆる中央集権体制を標榜、すなわち政策の中心にすれば、中央省庁職員はきっと泣いて喜ぶに違いない。だから「維新」という言葉を用いる政党が現れることは、官僚には歓迎すべきことだ。

中央集権体制では、中央は一箇所が想定せれる。その意味で分からないのは、東京都知事石原氏と大阪市長橋下氏が協定を画策していることだ。なぜなら、もし両者ともに中央集権体制を目指しているとすれば、本来ならば日本の中心を東京にするか、それとも大阪にするかをめぐって、両者はライバル関係にたつはずだからだ。

ただし実際には地方自治体の権力を強めようというのが、両者の一致する政策だろう。要するに「反中央集権体制」だろう。だとするならば、「維新」という言葉は看板に偽りありと指摘されても仕方がない。

【結論】 「西欧(プロテスタント)に追いつけ、追い越せ」という時代は我が国ではすでに終わり、新たな時代を迎えつつある。そんな時に、「この世のすべての貨幣は一旦国庫に集まり、そしてすべての貨幣は国庫から出る」という仕組み作りは時代錯誤も甚だしい。

明治維新とは何か

 今政界やマスコミ界で、大阪維新の会が話題となっている。ここで「維新」という言葉は、おそらく明治維新を意識しているのだろう。そこで維新の政体はいかなるものであったのかが問題となる。

明治維新は天皇を中心とした政体であると、表面的には捉えられている。しかし実際は、徳川幕藩体制とは似ても似つかない別物だった。すなわち明治維新は、官僚中心主義とも言うべき中央集権国家体制だという点に特徴がある。それは中世ヨーロッパ以来のカトリックの系譜に属する。

そのため明治政府では、徳川幕藩体制下における士農工商、すなわち公家を身分の蚊帳の外に置く体制を維持しながら、庶民層からの登竜門としての官僚制を築くところに、統治の根幹があった。その点で、公家支配を旨とする旧貴族社会に比べれば、庶民化というか、部分的に民主化したといえる。つまり名も無き庶民として生まれたとしても、官僚試験に合格するなど、一定の条件が整えば、社会の上層に上がることが出来る。それだけではなく天皇を御旗にして、国の実質的支配権をも手にすることができる。

こういう体制に真っ向から立ち向かったのが、西欧におけるプロテスタント、言い換えれば宗教改革なのである。宗教改革は、主に北方のゲルマン文化圏の人たちが、「商人こそ第一」との名目の下、官僚支配に対抗した。つまりオランダやイギリスなどのプロテスタント勢力は、庶民階層が上昇する登竜門として、事業の成功を用意したのである。そこではビジネスマンが尊敬される。

以上のように、カトリックは晴耕雨読又は清貧に基づく修道士もしくは官僚、ようするに精神性を階層の上位に置くのに対し、プロテスタント、言い換えればゲルマン式キリスト教は商人や生産者、要するに物質性を階層の上位に置くなど、相互に対照的な思想を持つ。カトリックによるカウンター・リフォメーション(反宗教改革)の延長線上に、明治維新はある。

大阪維新の会は維新という文字を用いているから、きっと中央集権体制維持を志向しているのだろう。しかしその際は、地方分権と相反するだけではなく、ビジネスマン中心主義とも乖離することを、予め理解する必要がある。

【格言】 「維新」という言葉を用いた瞬間から、物質主義を捨て、精神主義へと傾注することを意味する。

【結論】 維新体制では、たとえ貧しくても学術に優れたものが尊敬される。その逆にプロテスタントでは、たとえ学問は無くとも、事業家として成功すれば尊敬される。

2012年5月17日木曜日

"警防団"と雇用対策

日本から「完全雇用」という言葉が用いられなくなって久しい。今後しばらくは、如何にして雇用を増進させるかが課題となる。

「御用」と書かれた提灯や長い棒を持って犯人を追いかける大勢の人たちを、時代劇でよく見かける。あの人達は必要な時だけ動員される臨時雇いである。これとよく似た雇い方が現在でもある。それは消防団だ。消防団は普段はそれぞれ本職を持ちつつも、いざというときは災害現場に駆けつけ、人命救助などに当たる。ただし火災などの消防団が活躍する場面は、出動に際し支給される貨幣を収入源とみなすには余りにも少ない。したがって雇用対策として消防団を定義する場合は、もう少し活躍の場面を増やす必要がある。

そこで考えられるのが、現在は機動隊が担っている役割を、一般市民の臨時雇いで賄う方法である。すなわち消防団員を増員するなどして、凶悪犯を追い詰める場合にも活躍してもらうのだ。そうすることにより、例えば定職が無くぶらぶらしている者たちへの雇用対策になる。しかも警察官の常備を減らすことができるから、財政健全化や減税にも資する。これらの臨時雇いを仮に「警防団」と名付けることも可能だろう。

【格言】 「御用」で雇用を。

2012年5月14日月曜日

不動産業と結婚紹介業

今建設業者や不動産業者が苦境にあえいでいる。その大きな原因として、新築一戸建て住宅がなかなか建たないということがある。不動産屋の中には、それを不況に基づく建築資金の不足のせいにする人もいる。つまり住宅ローンを組める条件を満たす人が少ないからだと言うわけだ。

しかし仮に資金があるとしても、新築一戸建の需要へと結びつくとは限らない。なぜかというと、例えば独身で結婚の見通しがない者は、決して一戸建てを建てようとは思わないからだ。つまり独身者にとって新築一戸建は、お金の無駄遣い以外の何物でもない。

要するに、資金以外に家庭を持つという条件が加わらなければ、新築一戸建の需要には結びつかないのである。この点で、不動産の取り扱い件数を増やそうと思えば、独身者が結婚相手を見つけられるように手助けすることが肝要となる。

そういう意味で、不動産業や建設業が婚姻率の上昇に向け、結婚紹介業に進出する積極的意味がある。そうすることにより、うまくゆけば「この結婚紹介業で相手を見つけたのだから、その関連企業で家を建てよう」という顧客が現れることも期待できる。

2012年4月11日水曜日